【ケニア派遣156日目】農家が自ら学び始めた日。JICA視察という「見栄」を刺激するマネジメント術

カカメガでの活動
カカメガでの活動

終わらない停電と、自走し始めた農家

朝起きても、いまだに停電は続いていました。昨日の夕方からずっと電気がなく、スマホの充電も切れかけ、Wi-Fiのルーターも動きません。ネットから完全に切り離された状態で、とりあえず事務所へ向かいました。

午前中は、イチゴに関する活動です。 まずは病院のデモ圃場へ。先日チーフと会話した通り、しっかりと肥料が蒔かれ、畝が綺麗に整えられていました。今のところ、植えた苗はなんとかほぼ全部生き抜いているようで安心しました。このまま根付いてくれることを願いつつ、定期的に見守ろうと思います。

そのあとは、メインのイチゴ農家の元へ。 今日はお葬式があるらしく忙しそうだったので、サクッと立ち話だけをしました。今後、畑の面積をいくつか増やす予定で、柵やネットの設置についても認識をすり合わせました。

話の中で、とても嬉しい報告がありました。なんと彼女は、先日私が訪れた「ブクラATC(農業トレーニングセンター)」へ自ら足を運び、イチゴの栽培について勉強してきたというのです。 私が教えるだけでなく、自分から情報を取りに行く姿勢。当事者意識がここまで育っているのは、本当に素晴らしすぎます。

彼女は「甘くて美味しいフルーツを作るために、もっと色々と工夫したい」と意気込んでいました。以前知人からもらったイチゴは大きかったけれど味が薄かったそうで、クオリティを上げたいとのこと。 水を意図的に減らしてストレスを与えたり、実をつける回数をコントロールしたりと、私自身も勉強しながら、彼女と一緒に最高の栽培方法を模索していければと思います。

帰り際、「近いうちにJICAの関係者が視察に来るかもしれない」と伝えました。すると彼女の目の色が変わり、「それまでに畑を綺麗に整えておこう」とさらにやる気を出してくれました。 やはり、ケニアの人を動かすには「見栄」や「プライド」を刺激してあげるのが一番効果的です。褒められたい、立派に見られたいという純粋な欲求は、強烈な原動力になります。

コヨンゾ市場と「Tamu」しかない表現

午後も事務所として特にやることがなかったので、ふらっと近くのマーケットへ視察に出かけました。

向かったのは「コヨンゾ」という街です。ここは私の任地であるマトゥング・サブカウンティの中では最も面積が広いワード(区)なのですが、マーケット自体は特段特徴があるわけではなく、規模もそこまで大きくありませんでした。青空市場よりも、小規模なスーパーマーケットの方が品揃えも安定している印象でした。生活するには便利そうです。

市場で穀物を売っている人たち数人に、「どの豆が一番好きか?」と聞いて回ってみました。 「シムシム(ゴマ)」と答える人もいれば、「ピーナッツ」と答える人もいて、好みはバラバラ。ローカルの人たちの嗜好を知れるのは面白いです。

ただ、会話をしていて少し物足りなさを感じました。 「なぜその豆が好きなの?」と理由を聞いても、返ってくる言葉はすべて「Tamu(美味しい/甘い)」か、そうじゃないか、どのくらいTamuなのか。それしか表現が出てこないのです。

歯ごたえが良いとか、香ばしいとか、酸味と旨味のバランスが良いとか。 食材の細かいニュアンスを表す語彙が、彼らの日常会話には存在しないように感じます。以前も「甘い」と「美味しい」が同じ言葉で括られていることに触れましたが、食に対する解像度や言語表現の幅が広がっていないのは、食文化の成熟度と深く関わっているような気がします。 食感や風味を言語化する文化がない場所で、新しい加工品の「美味しさ」をどう伝えていくべきか。マーケティングのハードルをまた一つ見つけました。

バナナ3本:10円、トマト7個:100円、サツマイモ大5:100円、アボカド:無料。

余白の実験室:もやし、干し芋、コンポスト

帰宅後も停電は続いていたので、スマホを触るのを諦め、自宅で色々な「実験」を仕込むことにしました。

大豆を使った「もやし栽培」、失敗からのリベンジとなる「干し芋作り」、そして身近な菌を活用する「高倉式コンポスト」の実践です。 これらは完全に私の趣味の延長ですが、どれも身近な材料でできるものばかりです。

今は趣味で行っていますが、もしこれが自宅で上手くいけば、そのまま事務所の同僚や農家さんに共有し、新しい収入源や農業の工夫として提案することができるかと思います。 電気がなくて何もできないなら、手を動かして未来の種を仕込む。
不便な環境の余白をクリエイティビティで埋めながら、静かな夜を過ごしました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました