【ケニア派遣151日目】「人はパンのみにて生くるにあらず」。メンチカツの誕生日会と、暇と退屈の倫理学

カカメガでの活動
カカメガでの活動

頭を使わない時間と、豚肉の地域差

今日は同期隊員の誕生日のため、4人で集まってささやかな誕生日会を開きました。

メニューは、メンチカツ、生姜焼き、漬物、サラダ、そして手作りのレアチーズケーキ。 この異国の地で、これほど豪華な日本食を並べて食べられるなんて最高です。めちゃくちゃ美味しかったです。

買い出しをしていて気づいたのですが、この集まった地域では「豚肉」が一番多く売られていました。同じカカメガ・カウンティ内でも、私の任地マトゥングとは微妙に流通している肉の地域差があって興味深いです。私の任地でももっと豚肉を売ってくれたらいいのになと、豚肉好きとしては少し羨ましくなりました。

久しぶりに複数人の日本人が集まり、特に中身のないようなことも含めて色々な話をしました。 普段は1日中、何かしらのコンテンツを見て、何かしらの考え事をしている生活です。だからこそ、こうして気心の知れた仲間と一緒に、頭を使わずにただ笑って過ごせる時間は、今の私にとって信じられないくらい貴重なデトックスでした。

技術は人間を「暇」にしたのか

ケニアに来て150日が過ぎた今、ふと考えることがあります。
「暇」と「退屈」についてです。

私たちは消費社会の中で、企業によって作り出された「需要」を満たすために働き、常に何かに追われながら生きています。 AIなどの技術が発達すれば、オフィスワークは自動化され、人間には豊かな「余暇」が生まれるはずでした。でも現実はどうでしょう。私たちは空いた時間で、また仕事のための仕事(ブルシット・ジョブ)を生み出し、穴を掘っては埋めるような意味のない作業に忙殺されている気がします。

産業革命から続く技術革新によって、人間は便利さを追求し、豊かさを求めてきました。洗濯機や食洗機など、家事を代替してくれるテクノロジーの偉大さは、ケニアで手洗い洗濯をしている今の私には痛いほど分かります。 でも、だからといって日本人が一向に「暇」になっているようには思えないのです。

最低限の衣食住があり、身体的な安全も確保されているのに、私たちは決して満足しません。

聖書には「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉があります。
イギリスの詩人・社会主義者であるウィリアム・モリスが言うように、生き延びるためにはパン(実用品)が必要ですが、人間が人間らしく豊かに生きるためには、バラ(贅沢品や意味)のような存在が必要なのです。

では、現代を生きる私たちにとっての「バラ」とは一体何なのでしょうか。

退屈を凌ぐためのスパイス

技術によって時間を作っても、私たちはその「暇」をそのまま享受することができません。

これはケニアの人たちにとっても同じようです。
彼らも「暇」であることはきついと言います。「暇だから学校に行く」「暇だから仕事をしたい」と語る人もいます。暇、故にドラッグや非行にはしる人が多くいます。
日曜日に、村の人々が朝から晩まで一日中教会で過ごし、熱狂的に祈りと議論を捧げる理由も、今なら少し分かる気がします。

かくいう私も同じです。
ケニアで安全な衣食住を得ているのに、苦しい瞬間があります。それは「やることがない時」です。

暇、自由、退屈。
それらは人間にとって、実は耐え難い苦しみなのかもしれません。
しかし、なぜ苦しいのかは分からないから、対処もできない。結局、暇という空白を埋めるために、動くしかないのです。 そして、その退屈を凌ぐためには「ストレス(負荷)」をかける必要があります。何かに向かって頑張るという負荷こそが退屈の対義語であり、それを凌ぐためのスパイスなのです。

まさに、私たちは自由の刑に処せられています。

退屈から逃げて、ケニアへ来たのか

もしかすると、私が今ケニアに来ているのも、そういう側面があるのかもしれません。

もちろん、農家の収入向上支援をしたいという立派な目標はあります。でも、それは欲望の対象であって、原因ではない気がします。 本当の原因は、「日本での安全で整備された生が退屈だったから」かもしれない。じっと部屋の中にいるのが耐え難いように、じっと日本社会のレールの上にいるのが耐え難かったのかもしれない。

だから、旅に出て、協力隊に参加した。自ら進んで苦労や負担というストレスを求め、遠いアフリカまでやってきた。その先で大義を見出し、熱中している。 私の人生そのものが、壮大な「退屈凌ぎ」と言えるのかもしれません。だって、日本にいればコンビニのバイトでだって、自分一人なら絶対に死なずに生きていけるのですから。 かつて私がケニアやタンザニアへの派遣を希望したのも、過去の旅の中で感じたあのアフリカの「キツさ」が記憶にあり、無意識にその負担と熱中を求めていたからだと思います。

薔薇の棘で血を流しながら

ここケニアに来て、物理的に暇な時間があっても、私はずっと何かしらのインプットをしています。 正直、人と話をするよりもPodcastを聴いている時の方が好きだったりしますし、暇すぎる時は、バスで移動すればいい距離をわざわざ歩いて時間を潰すことだってあります。

私はもう、何かに追われ続けている。
中身のないこと、学びのないことができない体になってしまっている。

でも、最近少しだけ変わってきている部分もあります。 小説や漫画を読み、ぼーっと空を眺める。蝋燭の火の揺らぎを見つめ、雨の音に耳を澄ませる。

何もしない。「何の役にも立たないこと」を許容できるようになってきました。

食事を作るのに時間をかけ、手洗いの洗濯に時間をかける。技術の足りない世界で生きることで、逆に技術によって私たちが何を”失った”のかを強烈に感じています。

技術によって時間を作り、その空いた時間で新しい作業を作り、またそれを効率化させる技術を作る。 本当にバカみたいですが、それが人間という生き物の業(ごう)なのかもしれません。それは苦しくて、ある意味で不幸なループです。

まるで、薔薇の棘に刺さり、血を流しながら、それでも赤い花びらの美しさを楽しんでいるような。

今、私の手の中にあるこの「時間」をどう使うべきなのか。
1年半後の帰国後、自分はどう生きるべきなのか。

自由を求めておきながら、その自由に苦しめられる私たち もしかすると、動物のように食と住だけを求めて、生命の循環の中でただ生きる「パンだけの生活」が一番幸せなのかもしれない。

いや、分からない。今は分からないままでいようと思います。
こんな哲学的な問いは、どんなに優秀なAIに聞いても答えをくれはしません。

明日からも広大なケニアの空の下で、ゆっくりと考えていきます。

参考:

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