【ケニア派遣148日目】「ケニア人は陽気」という嘘。実習生の市場調査から学んだ、主語を大きくすることの危うさ

カカメガでの活動
カカメガでの活動

実習生のヒヤヒヤする市場調査

今日は、事務所にきているアタッチメント(大学生の実務研修生)の二人がマーケット調査の実習を行うということで、私も同行することにしました。

彼らのインタビューの様子を横で聞いていましたが、正直、何度かヒヤヒヤする場面がありました。 お店の人に対してろくに挨拶もせず、いきなり値段を聞き始めたり、緊張からか表情がとても硬かったり。次にどうするか迷ってしまい、その場で不自然に立ち止まって時間がかかってしまうこともありました。後から聞いた話では、お店に貼ってある値段のポップを無断で撮影しようとして、店主に怒られてしまったそうです。

以前、ムミアスの農業事務所のプロのオフィサーたちに同行して調査を行った時の鮮やかな手口とは、まるで違いました。

仕事として調査をしている側からすれば「聞きたいこと」があるのは当然ですが、相手からすれば見ず知らずの若者に答える義務などどこにもありません。見返りもないのに貴重な時間を割いてくれるわけがないのです。 まずは笑顔で挨拶をし、世間話から入り、関係性を構築する。それが大前提です。実習生の彼らにとっても、痛い思いをしながら学ぶ良い経験になったのではないかと思います。

「ケニア人は陽気」という主語の危うさ

彼らの苦戦する姿を見ていて、自身の中にある一つの偏見に気がつきました。

これまで、なんとなく「ケニア人はみんな陽気で、誰にでも気さくに話しかけるコミュニケーション能力に長けた人たちだ」と思っていました。 しかし、それはあまりにも解像度の粗い、勝手な思い込みでした。

彼らが見せるあの陽気さは、あくまで「自分のコミュニティ内」に向けられたものが大半です。 農業事務所のオフィサーたちが見せる、誰にでも懐に入っていくあの圧倒的なコミュニケーション能力は、彼らが持って生まれた性格というよりも、訓練と経験によって培われた「プロフェッショナル故のスキル」だったのかもしれない。

思い返せば、街の子どもたちもそうです。集団でいる時は調子に乗って遠くから大きな声で絡んできますが、一人きりの時にすれ違うと、固まってしまって何も話しかけてこない子がたくさんいます。 大人も同じ、人によって、状況によって、関わり方は全く異なります。

よく「日本人はシャイだ」と言われます。傾向としては確かにそうかもしれませんが、それはあくまで全体平均の話に過ぎません。ケニア人も同じです。国や部族という「大きな主語」で人を括ることの危うさを、実習生の不器用な姿から教えられました。ちゃんと、目の前の「個人」を見なければいけません。

カスタマーになることと、生きた情報

マーケットにいると、本当に色々な人から声をかけられます。話しかけられ過ぎて、気づけば実習生たちを見失っていました。
ほぼ毎週この市場を歩いているので、純粋に顔見知りが増えてきたというのもありますが、何よりおそらく私が彼らから定期的に野菜を買う顧客だからです。

良い品質の店を見つけると、以前買っていた店を使わなくなり少し気まずくなることもあります。でも、市場は狭いですし、嘘をついてもすぐにバレるので「あっちの方が良かったから」と正直に言うようにしています。

色々な人と話しながら買い物をしていると、向こうから勝手に有益な情報が入ってきます。 例えば、「最近雨が降り続いているせいでトマトが傷んでしまい、仕入れの値段が上がっているんだよ」といったリアルな一次情報です。 こういう何気ない立ち話こそが、現場を知る上で一番大事なのだと思います。毎週マーケットの日は1時間くらい歩き回って買い物をしつつ、この会話の量をどんどん増やしていきたいです。

無償が怖い。資本主義の病

その後、以前から親交のあるとある農家の元を訪れました。せっかくなので私のプロジェクトの構想を話し、「もし興味があったら一緒にやろう」と提案を行いました。

正直に言うと、個人的に彼女のことはあまり得意ではありません。積極的に一緒にプロジェクトをやりたいかと言われれば微妙なところです。 でも、どこでどう繋がるか分からないのがこの地域の世界の狭さです。「自分がこういうことをやっている」と公言して蒔ける種は、色々なところに蒔いておくべきだと思っています。

彼女はとてもおせっかい焼きで、「無料でいいから、いつでも家にご飯を食べに来なさい」と言ってくれます。 その気持ちは本当にありがたいのですが、正直ちょっと面倒くささも感じてしまいます。田舎特有の濃密な人間関係と言えばそれまでですが、私としては、きちんと「お金」を払わせてもらった方が、人間関係として圧倒的に気が楽で安心するのです。

無償の優しさを素直に受け取れず、対価を払う関係性の方が安心してしまう。 これは、私が資本主義の等価交換の概念に深く侵されてしまっているからなのでしょうか。ケニアの田舎の優しさに触れるたび、自分の少し冷たい部分を見透かされているような気がしてしまいます。

今日も夜は、また別の新しいプロジェクトに向けた作戦会議を行いました。 まだまだ形になるのはずっと先ですが、ワクワクする面白い仕掛けです。 主語を小さくして、目の前の一人と向き合いながら、明日も頑張ります。

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