激動の世界を、スマホの画面越しに眺める
今日も穏やかな休日です。
私の1日は、毎朝ニュースをチェックすることから始まります。
今、世界は本当に目まぐるしく動いています。イラン情勢は日々状況が変化しており、昨日正解だったニュースが今日にはひっくり返っていることも珍しくありません。
私がいるケニア国内でも、来週火曜日には燃料価格の高騰に伴う大規模なデモが各地で予定されています。先日ガソリンの値下げが発表されたとはいえ、市民の鬱憤はそう簡単には収まらないようです。 その一方で、日本のニュースを見れば株価が強さを見せており、日経平均が6万円の大台に乗りそうな勢いだと報じられています。
中東の火種、アフリカの生活苦とデモ、そして日本の金融市場。
ケニアの静かな田舎町で、小さなスマホの画面越しにそのコントラストを眺めていると、「世界は今日も激しく動いているな」と不思議な俯瞰の感覚に陥ります。
本当に毎日、信じられないスピードで世界が動いていますが、流れてくる一つの情報に右往左往してはいけません。金融市場の冷徹な数字、現実のストリートで起きているデモや紛争、そして各大統領やリーダーたちの政治的な思惑。そうした「様々な角度」から事象を繋ぎ合わせて立体的に見ていくこと。それこそが、情報に混乱することなく、ちゃんと「今の世界を捉える」ための唯一の方法なのだと思います。
読書という「双方向」の鏡
今日は外に出ず、基本的には家事と筋トレ、そして読書を中心に過ごしました。
今日手に取ったのは、高校生の時に一度読んだことのある本です。
久しぶりにページをめくってみて驚いたのですが、10代の頃に読んだ時とは全く違う見え方がしました。当時は読み飛ばしていたような何気ない一文が、今の私には深く突き刺さったりする。
読書とは、双方向性のものなんだなと、腑に落ちました。
本に書かれている文字情報は、何年経っても不変です。しかし、それを受け取る「私」の側が変わっている。日本社会で働き、今こうして遠いアフリカの地で異文化に揉まれ、悩み、経験を積み重ねている。新しいフィルターを通して読むからこそ、本の中から新しい意味や景色を引き出すことができるのです。本を読むことは、実は今の自分自身の輪郭を測る「鏡」を覗き込むような作業なのかもしれません。
ボーダーレスな感動と、停電の夜
午後は、先週日本で開催された音楽フェスの様子をYouTubeで観て過ごしました。
画面の向こうでは、何万人もの日本の若者が熱狂し、アーティストが渾身のパフォーマンスをしています。私はそれを、赤道直下のケニアの薄暗い部屋で、リアルタイムに近い感覚で共有している。
インターネットのおかげで、世界は本当に狭くなりました。 物理的な距離は絶望的に遠いのに、熱気や感動は即座に世界中へ届けられる。なんてボーダーレスな時代なんだろうと、画面越しの音楽に胸を打たれ、たくさんの元気をもらいました。
しかし、そんな便利なデジタル世界も、ケニアの大自然の前ではあっけなくシャットダウンされます。
夜、雨が降り出したと思ったら、案の定、停電しました。
最近は電力供給が比較的落ち着いていたのですが、やはり雨が降るとインフラの脆さが露呈します。
外の世界はネットでボーダーレスに繋がっているのに、目の前の部屋は真っ暗闇。 昔の私なら「最悪だ、何もできない」とイライラしていたかもしれませんが、今は違います。
「まあ、夜から朝にかけての停電なら、あとは寝るだけだし大して困らないな」と、落ち着き払ってキャンドルに火を灯している自分がいました。
どんな不便な環境でも、人間はちゃんと適応していく。
「慣れ」という人間の持つ最強の防衛本能に少しだけ笑いそうになりながら、静かな暗闇の休日を終えました。

リーグ戦も終盤で、各リーグ盛り上がっています。


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