【ケニア派遣315日目】マタツが議場に変わる国。見知らぬ客同士が語り合う距離感と、隣人に挨拶しない日本

ケニア派遣315日目。ファーマーズマーケットを終え、大荷物を抱えてカカメガから任地マトゥングへ。ブース前やマタツ車内で見知らぬ客同士が熱く議論を始めるケニア特有の「隣人との近さ」を、日本の無関心社会と対比します。さらに白人や富裕層が行き交う都会と、素朴な農村との圧倒的な格差に戸惑いつつも、田舎の居心地の良さを噛み締め、AIにデータ分析を任せて静かに休む日曜日を綴ります。

見知らぬ客同士が語り出す、ケニアの「近さ」

昨晩はマーケットの疲労感を抱えたままカカメガタウンに泊まったため、朝からイベントの大きな荷物を両手に抱え、任地マトゥングへの帰路につきました。

移動のバスに揺られながら、昨日までのファーマーズマーケットの会場で目にした、ある印象的な光景を思い出していました。

それは、ブースの前で出会ったお客さん同士が、自然に会話を始め、いつの間にか議論へと発展していく場面でした。

店頭に並べたモリンガやハイビスカスを眺めながら、最初はこれは何に効くのかという商品の質問を交わしていたはずの見知らぬ人が、気づけば子どもの栄養失調の話題になり健康問題について、まるで昔からの知り合いであるかのようにディスカッションを繰り広げていたのです。

そして、この光景はマーケットの現場だけに限りません。

今まさに私が乗り込んでいるマタツの中でも、全く同じ現象が起きていました。

誰かが一言口火を切ると、隣の席の人が相槌を打ち、後ろの席の人が意見を挟み、気づけば車内全体が一つの大きなディスカッション会場のようになって、全員でワイワイと言葉を交わし始めているのです。

この、他人との境界線の薄さと、圧倒的な距離の近さ。

同じマンションの隣の部屋に誰が住んでいるのかすら知らず、エレベーターで顔を合わせても挨拶すら交わさない日本の都市生活と比較すると、なんとも人間味にあふれていて、可笑しく、そして面白い文化だなと感心させられます。

都会と田舎の落差、そして「風邪をひきそうになる」感覚

バスがガタガタと音を立てて農村地帯へと入り、昼前に無事、マトゥングの我が家へと戻ってきました。

部屋に荷物を下ろした瞬間、身体の中に奇妙な感覚が広がっていくのを覚えました。

一種のカルチャーショックのような違和感です。

ここ数日間、身を置いていたカカメガのタウンは、地方都市とはいえ十分に都会でした。 マーケットの会場となったショッピングモールの前には、スマートフォンを片手に持ち、自家用車で乗り付けて買い物をする富裕層が溢れていました。中には日本語で話しかけてくる人もいれば、白人の姿も当たり前のように溶け込んでいる。そこには、グローバルな資本と洗練された経済の空気が確かに漂っていました。

ところが、そこからわずか2時間ほどバスに揺られてマトゥングへ戻ってくると、視界のすべてが一変します。

土壁の家、見渡す限りの緑とサトウキビ畑、ボロボロのサンダルを履いて歩く人々、そしてのんびりと草を食む牛の群れ。
流れている時間のスピードが全く違い、空気の匂いも、人々の表情の温度も、街中とは根本から異なっています。

同期隊員が、 「都会と田舎を頻繁に行き来すると、格差とギャップが凄すぎて、風邪をひきそうになる」 と話してくれたことがありました。

まさにです。同じ一つの国、同じ一つの郡の中にありながら、これほどまでに隔絶された二つの世界が背中合わせに存在している。
その振れ幅の大きさに、意識が引っ張られて熱を出しそうになる感覚です。

ぼーっと過ごす午後と、AIに託すデータ分析

しかし、その圧倒的な格差を肌で感じながらも、やっぱり、私はこっちの田舎の方がずっと居心地がいいと感じている自分がいます。

洗練された都会の便利さや刺激も悪くありませんが、この何もない田舎ののんびりとした空気の中に身を置いている方が、肩の力が抜け、呼吸が深くなっていくのが分かります。土の匂いに包まれたこの静けさこそが、今の私の等身大な居場所なのだと改めて実感しました。

今日は、台所に立って料理をする気力すら湧いてきませんでした。
連日のイベント運営と、昨日の朝の往復移動、そして体調不良を引きずりながら走り抜けたツケが、心地よい脱力感となって身体にのしかかってきます。

ベッドの上に寝転がり、ぼーっと天井を眺めながら、気になっていたアニメやドラマを流し見して頭を休めました。

手元にあるスマートフォンでは、昨日までのマーケットで記録した販売ログや来客データを整理し、AIに放り込んで初期の傾向分析を走らせておきます。人間が頭を悩ませて電卓を叩かなくても、テクノロジーが勝手に数字の輪郭を浮き彫りにしてくれる。便利な時代です。

人と人があっけらかんと繋がり合う街の喧騒を抜け、静かな我が家へと戻ってきた日曜日。

今夜は無理に自分を動かそうとせず、AIが弾き出してくれる客観的な数字を横目に眺めながら、疲弊した頭と身体をゆっくりと休めます。