【ケニア派遣332日目】感覚の違いと、その交差点

ケニアで暮らす中で、日本とケニアの「感覚の違い」を考える。味覚や虹の色の捉え方は、言語や文化、育った環境によって形づくられるのかもしれない。きのこの試食を前に、異なる感覚を持つ人同士が共有できるものを探します。

週に一度の息継ぎ

今日は、1日家の中でPC作業をすることにしました。

溜まっていた作業をひとつずつ消化していきます。

週末に外へ出ている週は、書類作成やアイデアの整理、文章の執筆など、やることが少しずつ溜まっていきます。

それに加えて、精神もすり減っているような気がします。

外にいるだけで声をかけられる。

もちろん、それも仕事の一部だし、もう慣れてはいます。

それでも、小さなストレスが少しずつ積み重なっていく。

1週間に1回くらいは、息継ぎが必要なのだと思います。

それが自分の肺活量であり、キャパシティです。

そう考えると、1週間という単位を定めてくれた人には感謝したくなります。

感覚は、どこから来るのだろう

明日は、きのこのトレーニングです。

それに向けて、きのこの試食用の料理も準備しました。

料理をしながら、改めて思います。

味覚というのは、本当に環境に依存するものだな、と。

いや、味覚だけではありません。

感覚というもの全体が、そうなのかもしれません。

例えば、虹の色は何色あるのか。

日本では一般的に七色とされますが、世界には異なる数で捉える文化もあります。

目の前にあるものは同じでも、それをどう見て、どう分類し、どう感じるのかは、必ずしも同じではない。

言語や宗教、教育、育ってきた環境。

そうしたさまざまな要因によって、私たちの感覚は形づくられているのだと思います。

私たちが「美味しい」と感じるものも、どこかで身につけてきた感覚なのかもしれません。

だから、日本人が美味しいと思うものを、ケニアの人たちも同じように美味しいと感じるとは限らない。

私とケニア人の、交差するところ

明日のトレーニングに向けて料理をしながら、私は共通する部分を探しているような気がしました。

日本人が美味しいと感じるもの。
ケニアの人が美味しいと感じるもの。

その二つの間に、重なる部分はあるのだろうか。

誰もが美味しいと思うものを見つけるのは、難しいかもしれません。

でも、「私」と「ケニア人」。

この二つの集合であれば、何とか積集合を見つけられるのではないか。

そんなことを考えています。

もちろん、料理だけの話ではありません。

普段の活動でも、日常の会話でも、何かを伝えようとするときでも。

自分と相手の感覚が違うことを前提にしながら、それでも共有できるものを探していく。

違いをなくすのではなく、違いがあるまま、交わる場所を見つける。

それが、異なる環境で暮らすということなのかもしれません。

明日のきのこの試食で、どんな反応が返ってくるのか。

少し楽しみです。

ケニアに来て変わったかなと思い、4回目?くらいにMTBIやってみたけど、大学生の時から全く変わりません。