週に一度の息継ぎ
今日は、1日家の中でPC作業をすることにしました。
溜まっていた作業をひとつずつ消化していきます。
週末に外へ出ている週は、書類作成やアイデアの整理、文章の執筆など、やることが少しずつ溜まっていきます。
それに加えて、精神もすり減っているような気がします。
外にいるだけで声をかけられる。
もちろん、それも仕事の一部だし、もう慣れてはいます。
それでも、小さなストレスが少しずつ積み重なっていく。
1週間に1回くらいは、息継ぎが必要なのだと思います。
それが自分の肺活量であり、キャパシティです。
そう考えると、1週間という単位を定めてくれた人には感謝したくなります。
感覚は、どこから来るのだろう
明日は、きのこのトレーニングです。
それに向けて、きのこの試食用の料理も準備しました。
料理をしながら、改めて思います。
味覚というのは、本当に環境に依存するものだな、と。
いや、味覚だけではありません。
感覚というもの全体が、そうなのかもしれません。
例えば、虹の色は何色あるのか。
日本では一般的に七色とされますが、世界には異なる数で捉える文化もあります。
目の前にあるものは同じでも、それをどう見て、どう分類し、どう感じるのかは、必ずしも同じではない。
言語や宗教、教育、育ってきた環境。
そうしたさまざまな要因によって、私たちの感覚は形づくられているのだと思います。
私たちが「美味しい」と感じるものも、どこかで身につけてきた感覚なのかもしれません。
だから、日本人が美味しいと思うものを、ケニアの人たちも同じように美味しいと感じるとは限らない。
私とケニア人の、交差するところ
明日のトレーニングに向けて料理をしながら、私は共通する部分を探しているような気がしました。
日本人が美味しいと感じるもの。
ケニアの人が美味しいと感じるもの。
その二つの間に、重なる部分はあるのだろうか。
誰もが美味しいと思うものを見つけるのは、難しいかもしれません。
でも、「私」と「ケニア人」。
この二つの集合であれば、何とか積集合を見つけられるのではないか。
そんなことを考えています。
もちろん、料理だけの話ではありません。
普段の活動でも、日常の会話でも、何かを伝えようとするときでも。
自分と相手の感覚が違うことを前提にしながら、それでも共有できるものを探していく。
違いをなくすのではなく、違いがあるまま、交わる場所を見つける。
それが、異なる環境で暮らすということなのかもしれません。
明日のきのこの試食で、どんな反応が返ってくるのか。
少し楽しみです。
