【ケニア派遣324日目】人を動かすということ

ケニア派遣324日目。朝の養蜂グループは1時間待っても3人しか集まらず解散。善意や呼びかけだけでは人は動かず、明確なメリットの設計が必要な現実を痛感。午後は同僚と来週のトレーニング準備を進めるなかで、能力ある彼らの背中を押す「ガソリン」としての自分の役割と、自分がいなくても回る仕組みづくりの両立について考察します。

人は、なぜ集まらないのか。

今日は朝から、養蜂グループの集まりに参加するために移動しました。

約束の時間は午前10時。
しかし、待てど暮らせど人が集まりません。

時計の針が11時を回り、1時間ほど待ってみたものの、そこにいたのはメンバー3人と同僚、そして私だけでした。
これ以上待っても人が来る見込みはなく、結局、今日は何もできずに解散することになりました。

同僚に聞くと、こういうことはグループ運営の現場では珍しくないそうです。

何かをもらえる。新しい情報が得られる。自分にとって明確なメリットがある。
そうした確固たるものがなければ、次第に人は集まらなくなっていく。

まあ、当然といえば当然です。

わざわざ時間をかけて集まっても、何の現金収入にもならず、すぐに役立つ知恵も得られない。
ただ集まって1〜2時間を費やすくらいなら、自分の畑で手を動かしたり、別の小さな稼ぎ口を探したりするほうが、日々の生活にとってはよほど切実で合理的です。

「グループをつくれば、自然と人が集まって協力してくれる」

そんなに甘い話ではないのでしょう。

何かを誰かと一緒にやろうとするなら、参加する当事者にとってのメリットをどこまでもシビアに考えなければいけない。気持ちや善意だけに頼るのではなく、相手が時間を割いてでも行く理由・インセンティブを、仕組みとしてきちんと設計する必要があります。

路上で売っているマンゴー。塩と唐辛子をかけて食べることが多いです。
スイカに塩みたいな感覚なのかな。結構主張強くて、もはや別の食べ物になるけど、美味しいです。

人を動かすには、ガソリンがいる。

午後は、同僚と来週控えているトレーニングに向けた打ち合わせを行いました。
関係各所へ連絡を入れ、栽培用のバガス(サトウキビの搾りかす)を工場から正式に調達するための依頼文書も作成しました。

足踏みしていた話が、ようやく少しだけ前に進んだ気がします。

一緒に働いている同僚たちを見渡すと、高い能力を持っている人もいれば、やる気に満ちている人もいます。
正直なところ、私のような外国人が間に入らなくても、彼ら自身の力だけで十分にやれるのではないかと思う瞬間もあります。

それでも、現場ではなかなか物事が自発的に動き出さない。

だからこそ、私がガソリンになる必要があるのだと思います。

自分から声をかける。関係者に電話を入れる。必要な文書をサッと形にする。次に誰が何をすればいいのか、タスクの順番を整理する。

一つひとつは、誰にでもできるような小さな手作業に過ぎません。
ただ、その小さな火種を注ぎ込むことによって、止まっていた重い歯車がカタカタと動き始めることがあります。

ガソリンであり続けることのジレンマ

しかし、これは簡単なことではありません。

自分がガソリンになって働きかければ、目の前の物事は確かに進むかもしれない。
でも、いつまでも自分が動き続け、ガソリンを注ぎ足し続けなければならないのだとしたら、それは支援として本当にうまくいっているといえるのでしょうか。

自分がいなくても勝手に回っていく仕組みをつくること。
そして、目の前で停滞している仕事を進めるために、自らが火付け役となって働きかけること。

この両極端なバランスが、現場には常に必要なのだと思います。

そして、そもそも人は何によって動くのか。
お金なのか、新しい知識なのか、コミュニティへの責任感なのか。
それとも、隣の誰かが動き始めた熱量を見て、「自分もやってみよう」と心が動くのか。

本日の農業隊員ゼミのテーマも、そんな仕組み作りについてでした。
色々、各隊員のアイデアや葛藤が聞けて興味深かったです。

人を集めることも、人と仕事を進めることも、ただ「やろう!」と呼びかけるだけでは何も始まりません。

相手にとっての切実な意味を考え、動きやすい環境を整え、まずは自分から小さく動いてみせる。

人を動かすというのは、誰かを無理やりコントロールすることではなく、その人自身が動きたくなる理由や、一歩を踏み出せるきっかけを丁寧にデザインすることなのかもしれません。