ケニアで食べる日本米
今日も一日、家で過ごしました。
朝から1週間に1回の大掃除。
私の家の床はフローリングがなく、コンクリートなのか土なのか、よく分からないような床です。正直、モップをかけたところで、どこまできれいになっているのか分かりません。それでも、気になるので週に一度は掃除するようにしています。
家事をしながら、音声で情報をインプットする。
これがなかなか気持ちいい。
今日はTVerで『ガイアの夜明け』を見ていたら、米農家と、日本の米を海外へ輸出する会社「百笑市場」が取り上げられていました。
実は、この会社の「茨米」はケニアにも届いています。
アフリカではナイジェリアにも輸出しているそうです。
日本の米が、遠く離れたアフリカの地までやって来ている。すごいことだと思います。
もちろん、日本米を海外の人たちに広めるという意味でも、素敵な仕事です。 でも、個人的には、海外で暮らす日本人にとっての救いにもなっていると思うのです。
ケニアには「赤シル」と呼ばれる、比較的日本米に近い、もちもちとした米があります。
私も普段はそれしか買いませんし、鍋でおいしく炊けるように、炊き方を研究しています。
日本人として、やっぱり米は命ですから。
それでも、やっぱり違う…
日本で食べる米とは全然違うんです。
だから、日本米が遠い外国で食べられるって、本当にありがたいことだと思います。
米は、食べるまでが文化だ
偶然にも、今週は『カンブリア宮殿』でも米に関する特集を見ました。
土鍋の炊飯器で知られるタイガーの特集です。
米は、田んぼで育てて終わりではありません。 誰かが栽培し、収穫し、精米し、運び、売る。そして、家庭や飲食店で炊かれ、ようやく食卓に並びます。 どんな米を育てるのか。どこへ届けるのか。どんな道具で、どう炊くのか。 その一つひとつに、人の工夫や技術、積み重ねてきた知恵があります。
米は、ただの農産物ではないのです。 米は、食べるまでを含めて文化なのだと思います。
かつて米が貨幣として使われていたことも、今なら少し分かる気がします。 もちろん、米だけで生きていけるわけではありません。それでも、主食があれば、とりあえず腹を満たすことはできる。米には、生活そのものを支える力があります。
そんな米を、国境を越えて届ける仕事。 生産者の収入を支えるだけでなく、遠く離れた場所で暮らす人に、慣れ親しんだ食文化を届ける。
改めて、素敵な仕事だなと思いました。

日本の米は、どこへ向かうのか
一方で、日本の米をめぐる状況は、決して楽観できるものではありません。
昨年の米不足と価格高騰から一転、今年は米余りが問題になっています。
米をめぐる行政の対応にも、疑問を感じることが少なくありません。
さらに、日本の米農家は高齢化が進んでいます。
平均年齢はおよそ70歳といわれ、米作りを続けても、なかなか儲からないという声も聞きます。
このままでいいのでしょうか。
私たちが本当に守らなければいけないのは、国内の生産量を減らさないこと、そして何より日本の農家さんを途絶えさせないことです。国内の需要に合わせて安易に生産を縮小させるのではなく、作り続けられる環境をどう守るか。そのための有効な選択肢の一つとして、もっと輸出に目を向けるべきだと思っています。
日本の隣には、日本の約11倍以上の人口を抱える中国をはじめとする巨大な市場があります。日本食への関心が広がり、日本産米の輸出も伸びています。もちろん、厳しい植物検疫条件や輸送コストなどハードルはありますが、国内で余るから作らないという発想で生産基盤を細らせてしまうのはもったいない。
国内で安定して米を食べ続けられる未来を守るためにも、生産基盤を維持し、農家さんが誇りを持って米を作り続けられる仕組みを、食料安全保障の観点からもっと真剣に考える必要があるはずです。
日本人にとって米は、単なる農産品ではありません。
私たちの暮らしを支え、文化を形づくってきたものです。だからこそ、守るという言葉だけで終わらせず、どうすれば作り続けられるのか、どうすれば必要とする人に届けられるのかを考えたい。
減反するか、輸出するか。そんな単純な二択ではないにせよ、日本の米が持つ可能性を、もっと広い視野で考えてもいいはずです。
ケニアで、断水の中、なけなしの水を使って、いつもの米を鍋で炊きながら。
日本の米を、もっと世界へ。
そんなことを考えた日曜日でした。