誰もいない事務所と、おばちゃんのメイズ
今日から週末まで、配属先のメンバーの大半が研修に出かけています。
「事務所を開けて、できるだけ中にいてほしい」と頼まれたので、午前中は一人で作業をしていました。
そこへ、一人のおばちゃんがやってきました。
アクセントや訛りが強く、話の内容はほとんど聞き取れません。それでも、知っている単語を総動員して、なんとか用件を伝えました。
ただ、ひとつ気になったことが。
話の途中で、おばちゃんがバッグからメイズ(トウモロコシ)を取り出し、ボリボリと齧り始めたのです。
話すたびに口の中から破片がボロボロとこぼれ落ちてきます。あまりの光景に、思わず目のやり場に困りました。
(食べるのと話すの、どちらかにして〜笑)
ケニアで暮らしていると、こうした文化の違いに戸惑うことがあります。頭では理解しようとしても、自分の当たり前とは違うものです。
同じ人間でも、言葉も感覚も違う。相手を理解することの難しさを、日々実感しています。

飲める水なのかはわからないけど笑
離れていても繋がれる時代
午後は、カカメガにいる同期隊員たちとオンラインでミーティングを行いました。
先日のファーマーズマーケットを振り返り、次回に向けて意見を出し合います。
離れた場所にいても顔を合わせて話せる。さらに、AIが会話を文字起こしし、議事録まで作ってくれます。
本当に便利な時代です。
そして、今回の振り返りを通して感じたのは、一人ではできないことがたくさんあるということです。
自分では気づけない課題も、仲間と話せば見えてくる。自分にない知識や経験を、誰かが補ってくれる。
オンライン会議も、AIによる議事録も、あくまでそのための手段にすぎません。テクノロジーそのものが何かを成し遂げてくれるわけではなく、それを使って人と人が繋がることで、できることが増えていくのだと思います。
繋がった世界から流れ込んでくるもの
一方で、インターネットを開けば、フランスでの暴動やケニアでのエボラ感染者拡大、PHPの脆弱性発見やサイバーセキュリティの問題など、物騒な話題が次々と目に飛び込んできます。
世界中の情報に簡単にアクセスできるようになった一方で、遠く離れた場所の不安や恐怖まで、手元に流れ込んでくるようになりました。
人と人が繋がることで、できることが増える。
その一方で、繋がった先から、必ずしも望んでいないものまで届いてしまいます。
世界を知ることは大切です。
しかし、知れば知るほど、自分ではどうすることもできない現実に、無力さを感じることもあります。
便利になったことで、世界は確かに近くなりました。でも、世界が近くなることと、世界が生きやすくなることは、必ずしも同じではないのかもしれません。
そんなことを考えながら、いつもの通りを歩いていました。

画面の向こう側にはいない子どもたち
通りでは、学校の終業式を終えた子どもたちが、無邪気に過ごしています。
すれ違うたびに、元気な笑顔で声をかけてくれます。
「ムズング!」
私を見つけると、嬉しそうに呼びかけてきます。
もちろん、彼らの暮らしにも、外からは見えない困難や問題があるはずです。
情報に触れずにいることが幸せだとも、知らないままでいることが純粋さなのだとも思いません。
それでも、スマートフォン越しに世界の不穏なニュースを眺めていた私には、目の前の子どもたちの笑顔が、なんだか眩しく見えました。
世界と繋がることで、知識が増え、できることが増える。その恩恵は疑いようもありません。
ただ、繋がることが当たり前になった世界では、目の前にあるものを見落としてしまうこともあるのかもしれません。
画面の向こうには、物騒な世界が広がっています。
そして、画面から顔を上げれば、いつもの通りがあり、笑顔で挨拶をしてくれる子どもたちがいます。
どちらも同じ世界の一部です。
遠くの世界を知ることも、誰かと繋がって何かを成し遂げることも大切です。
でも、繋がることに夢中になるあまり、目の前にある世界を見失ってしまわないように。
今日も「ムズング!」に笑顔で返事をしながら、そんなことを考えた一日でした。