100シリングのオープンソースと「ネズミの道」
10月15日。今日は世界マッシュルームの日(World Mushroom Day)でした。
この日に合わせて、地域で開催されたキノコのイベントに参加してきました。
会場には近隣の農家さんや農業を学ぶ学生たちなど、総勢50人ほどが集まり、農場見学や加工品の試食、ランチ、そして関係者によるプレゼンテーションが行われるなど、本格的なプログラムでした。
参加者全員が同じ熱量というわけではありません。
ただ、前列に陣取って真剣にメモを取り、食い入るように話を聞いている学生や農家さんたちの眼差しには、熱が宿っていました。

その光景を眺めながら、文化人類学者・小川さやかさんが著書などで描いている東アフリカのインフォーマル経済、ネズミの道のことを考えていました。
今回のイベント、参加費はわずか100シリング(約120円)。
ほぼタダ同然の金額です。
それだけの小銭で、培地の配合比率から温度管理、収穫のコツに至るまで、通常なら門外不出の企業秘密として囲い込みたくなるような実践知が、惜しげもなく会場全体に配られていました。
情報の価値が暴落した現代とはいえ、近代資本主義のセオリーからすれば、自分が苦労して掴み取ったノウハウは独占し、参入障壁を築いて先行者利益を守るのが、正しい戦略のはずです。抜け駆けして一人勝ちした者こそが勝者とされるのが資本主義です。
しかし、ここ東アフリカの路上や農村社会の論理は、違います。
小川さやかさんがタンザニアの零細商人たちの観察を通じて解き明かしているように、彼らの世界には「出し抜く」という抜け駆けの狡さを認めつつも、同時に誰かが得たパイプや知恵をあっけらかんと融通し合い、富や情報の独占を徹底して解体していく独特の慣行があります。
大通りを行く巨大資本や国家の制度には頼れない。
だからこそ、地面の下に無数に張り巡らされた”ネズミの道”のように、細いインフォーマルな人間関係のネットワークを網の目のように広げ、情報を小分けにして共有し合う。そうやって、明日何が起きるか分からない過酷で不確実な環境の中で、全員でリスクを薄く分散させ、誰一人完全には野垂れ死なないようにしぶとく生き延びていくのです。
一人勝ちを目指して情報を囲い込む者は、コミュニティから警戒され、孤立し、いざ自分が躓いた時に誰からも助けてもらえなくなる。
だから彼らは、ほぼ対価なしで、持っているカードをオープンソースのようにあっさりと差し出してしまう。
自分の利益だけを優先せず、コミュニティ全体を引き上げようと惜しみなく知恵を分かち合う先進農家さんたちの姿は、本当に尊く、素晴らしい実践だと心から敬意を抱きます。
ただ、その尊い利他精神に胸を打たれる一方で、頭の片隅にはどうしても市場の力学がちらついて離れませんでした。
全員に技術を教えて参入者を増やせば、当然、地域内で生産者が乱立して市場価格は下がり、個々の農家の利益は薄まります。
そうなったとき、最後に一番儲かるのは誰なのか。
かつてのアメリカのゴールドラッシュで、金を掘り当てた一握りの鉱夫ではなく、彼らに頑丈な「ツルハシ」や「ジーンズ」を売り続けた商人が莫大な富を築いたように。 キノコ栽培が地域に広まれば広まるほど、リスクを背負って土を触る個別の生産者ではなく、束ねる大口のバイヤーや、栽培に不可欠な「種菌」を安定供給する上流のプレイヤーこそが、構造的に最も手堅く利益を享受することになるのではないか。
会場を俯瞰しながら、コミュニティへの貢献という美しい営みの裏側で蠢く、そんな市場の力学に、思いを馳せていました。

厨房の手伝いと、椎茸に首を傾げるケニア人
私自身は今回、いち参加者として会場の空気を味わうつもりでした。
しかし、気づけば台所に立ち、腕をまくってキノコ料理の仕込みや調理をガッツリとお手伝いしていました。
試食の場に立ってみて改めて痛感したのは、見たことのない食材に対する、人間の根源的な恐怖心でした。
いくら健康効果や栄養価を言葉で熱弁したところで、お皿の上に並んだ得体の知れない物体を前にして、手を伸ばすのをためらい、顔を強張らせる人が一定数います。毎日決まった食材を食べ続けている彼らにとって、キノコはまだ生活の文脈の外にある「未知の異物」なのです。美味しいと知ってもらう手前に、まず警戒心を解くという心理的な高いハードルが存在します。

さらに面白かったのが、味覚に対する文化のギャップでした。
今回、首都ナイロビの先進的な農家さんから、それは立派な椎茸が会場へ届けられていました。
肉厚で、香りも素晴らしく、会場にいた日本人3人で口にした瞬間、思わず目を丸くして顔を見合わせてしまいました。
う、うますぎる……!
異国の地で出会った椎茸の味に、五臓六腑が歓喜で震えるほどの感動でした。
ところが、同じ椎茸を口にした現地のケニア人たちの反応は薄く、微妙なものでした。
「うーん……オイスターマッシュルームの方が美味しいな」 「まあ、身体には良さそうだけどね」
首を傾げながら、不思議そうな顔をして呑み込んでいます。
日本人にとっては至高の”旨味”の塊であっても、その味覚の解像度を持たない文化圏の人々にとっては、独特の強い香りと重たい風味が、むしろ違和感や雑味として処理されてしまう。彼らにとっては、香りやクセが少なく、淡白で肉のような食感を楽しめるオイスターマッシュルームの方が、口に馴染むようです。
「美味しい」という感覚は絶対的な品質ではなく、どこまでも文化や育った習慣のフィルターを通して知覚される主観的な体験である。
目を輝かせる日本人と、ピンときていないケニア人のコントラストを眺めながら、食の奥深さを改めて実感しました。

組合の胎動と、西部に眠る巨大な余白
会の終盤には、地域のキノコ農家や主要なステークホルダーが集まり、車座になってディスカッションが行われました。
話し合いの中で、ここ最近、構想を温めていた「生産者組合」の立ち上げについて、農家さんたち自身の口から「個別に売り歩くのではなく、みんなで集まって組合を作ろう」という意見が飛び出してきました。これにはドキドキが抑えられませんでした。
外から来た私が旗を振ってお膳立てをするのではなく、当事者である彼らの中から「まとまって動く必要性」が言葉として紡ぎ出されたこと。
やる気のある農家さんは、自分の頭で考え、ちゃんと前に進もうとしている。その主体的な熱量に触れられたことが、今日一番の大きな収穫でした。
ディスカッションの中では、お隣ルワンダで国家規模で進められているという全自動化されたハイテクきのこ栽培工場の話や、このケニア西部エリアにおいて、需要に対してキノコ農家の絶対数が圧倒的に不足している現状など、解像度の高い議論が次々と交わされました。
不足しているということは、それだけ市場の伸び代があるということです。
(色々疑っている部分はあるが…)
ツルハシ売りが勝つ構造を意識しつつも、まずは熱意ある農家たちとタッグを組み、この地域で確固たる生産と出荷のベースを作ること。
今日芽吹いたステークホルダーのグループという種を、これからどうやって育てていくか。
少しだけ、活動の路が見えた有意義な「マッシュルームの日」でした。
