空っぽの冷蔵棚と、全国的な牛乳不足
昨晩はフォーラムの心地よい疲労感を抱えたままカカメガのタウンに泊まったため、朝は街で買い出しをしてから任地へ戻ることにしました。
立ち寄った大型スーパーの乳製品コーナー。
冷蔵棚の前に立った瞬間、異様な光景に目を奪われました。
本来、牛乳が置かれている棚。
しかし見渡す限り、綺麗さっぱりと空っぽ。
実はここ最近、ケニア国内のニュースでも全国的な牛乳の深刻な品薄・枯渇が大きく報じられていました。主な原因は、長引く降雨不足による牧草や飼料の不足です。乳牛に与えるエサが足りず、酪農家からの出荷量が激減した結果、加工乳のサプライチェーンが全国規模で悲鳴を上げています。
首都や地方都市の近代的なスーパーマーケットほど、こうした広域の流通網に頼り切っているため、生産地でボトルネックが起きると一瞬で棚から商品が蒸発してしまいます。地方都市カカメガも、その影響をまともに食らっていました。
しかし、その棚を見つめながら、私は自分の暮らす任地を思い出していました。
私の住むマトゥングのようなド田舎にいると、牛乳が手に入らなくて困ることはほとんどありません。 早朝のローカルマーケットへ足を運べば、近所のおばちゃんが大きなミルクタンクを抱えて立っており、搾りたてのピュアな生乳を量り売りで分けてくれます。
近代的な物流システムが止まっても、牛と畑がすぐ隣にある田舎の生活は揺るがない。
食料の生産現場と食卓の距離が近いことの頑丈さと豊かさを、空っぽの陳列棚の前で改めて実感しました。
「届きました」のメッセージと、消えた荷物
タウンでの買い物を済ませ、マトゥングへの帰路につきました。
道中、アフリカ最大手の通販サイト「Jumia」で頼んでいた商品を受け取るため、指定のピックアップポイントと立ち寄りました。
スマートフォンには、すでに「荷物が受取所に到着しました」というメッセージがしっかりと届いています。
カウンターで意気揚々とスタッフに画面を見せ、荷物の引き渡しをお願いしました。
ところが、奥の倉庫を探しに行ったスタッフが戻ってくるなり、困惑した表情で首を横に振りました。
「荷物、見当たらないね」
……私の荷物は、一体何処へ?
メッセージでは堂々と「届いた」と通知してきているのに、現場の物理的な棚には影も形も存在しない。 スタッフに確認すると、「本部に連絡を入れて探してみるから、また後日来てくれ」と。
注文ボタンを押してから、すでに2週間以上の月日が流れています。 日本の通販システムであれば、早ければ翌日に時間指定で手元に届くのが当たり前の世界です。2週間以上待たされた挙句、到着通知の詐欺に遭うなど、日本の常識に照らし合わせれば到底あり得ないトラブルでしょう。
悩んだら自分の損。「諦める、そして忘れる」技術
スタッフの頼りない返答を聞きながら、一瞬、胸の奥に不穏なモヤモヤが立ち上りそうになりました。
しかし、深く息を吐き出して、その感情をすっと手放しました。
ないものは、ない。
頭を悩ませ、イライラとストレスを溜め込んだところで、精神的なエネルギーをすり減らして損をするのは他ならぬ自分自身です。
ケニアに暮らし始めて、今日でちょうど300日目を迎えました。
この10ヶ月近い日々のなかで、私は数え切れないほどの理不尽や不条理、想定外のトラブルにぶつかってきました。 その試練の連続を生き抜く中で身につけた最も頑丈で強力なセルフディフェンス。 それこそが、「潔く諦めること」、そして「綺麗さっぱり忘れること」です。
荷物のことは、本部が連絡を寄越すまで記憶の引き出しの奥底へ放り投げておく。
見つかればラッキー、見つからなければその時に返金の手続きを考えればいい。
手ぶらのままピックアップポイントを出ると、マトゥングの空には穏やかな風が吹いていました。
不便なインフラも、適当な物流も、全部ひっくるめてのケニア生活。
手に入らなかった荷物の代わりに、身軽になった両手をポケットに突っ込んで、我が家への道をのんびりと歩き進めました。

意味は、「ウガリを食べていたら、健康だっただろうに。」そんなウガリは万能じゃないよと思いつつ…