鶏の声と世界に一人の朝、そして「隊員しているね」の称号
朝。まだ東の空が白み始める前の早い時間帯から起き上がり、机に向かっていました。
取り組んでいたのは、昨日カカメガの隊員仲間と語り合った今後のプロジェクト構想を、整理してドキュメントへと落とし込む作業です。
早朝のマトゥングは、人工の音がありません。
遠くで響く鶏の鳴き声と、風が木々を揺らすざわめきだけが耳に届く。まるでこの世界の中に自分一人しか存在していないのではないかと錯覚するような、澄み切った時間。
早朝の音、そして早朝の少し冷たい空気が好きです。
誰からの連絡や通知に邪魔されることもなく、驚くほど深い集中力で一気に思考をテキスト化していくことができました。
午前中、昨日から我が家を訪ねてくれていた隊員を連れて、任地マトゥングの現場を案内しました。
キノコの様子を確認してもぎ取り、注文のあった袋を届けたりと、私にとっては見慣れた最低限のルーティンをこなしていきます。ただ、外からやってきた仲間のリアクションは、とても新鮮で面白いものでした。
自分にとってはすでに当たり前の日常になっていた風景の一つひとつに、目を丸くして驚いてくれる。
外からの視線が加わることで、自分の立っている現場の特異さが改めて浮き彫りになっていきます。
その道中、彼からこんな言葉をかけられました。
「隊員しているね」
協力隊の世界では、しばしばこの「隊員している」という不思議な言い回しが使われます。意味合いとしては、要するに「現地に根を張り、かなり大変で過酷な環境を生き抜いている」というニュアンスです。
同じカカメガカウンティ内で活動している仲間から見ても、私の暮らすマトゥングの環境は客観的に見てハードな部類に入るのだそうです。
言われてみれば、確かにそうかもしれません。
水も電気も当たり前のように止まり、部屋の床は剥き出しの土で、虫たちも遠慮なく部屋の中を闊歩している。
赴任した当初は途方に暮れる日もありましたが、気がつけばこの環境に身を置いてすでに9ヶ月近くが経ち、すっかりこの環境にも慣れました。
しかし、改めて考えると、「自分、よくやってるな」と思います。
人生の中のたった2年間くらい、こうしたインフラも何もない家でサバイバルしてみるのも、面白い経験です。
この不便さも含めて、悪くない生活だなと納得しています。

タウンの雑踏と、田舎の「外国人カード」の重み
午後からは、バスに揺られてカカメガのタウンへと上がってきました。
バスを降りて街の通りに立った瞬間、歩行者の圧倒的な多さに目を奪われます。
やはり、地方都市のタウンと、農村であるマトゥングとでは、空間の密度が根本から違います。
マトゥングのような田舎にいると、住民一人ひとりとの物理的・心理的な距離感が驚くほど近くなります。そして何より、その狭いコミュニティの中において、「たった一人の外国人」が放つ存在感の大きさは、街中とは比べものにならないほど絶大です。
歩くだけで顔を覚えられ、声をかけられ、良くも悪くも強烈なアイキャッチになる。
だからこそ、キノコを手売りする際にも、その外国人としての目立つカードを存分に使い倒すことができました。
一方で、タウンのような都会へ来ると、多様な人波の中に自分の存在がすっと紛れ込み、個人としての身軽さを取り戻すことができる。 各任地ごとにそれぞれの良し悪しやトレードオフがありますが、今の自分のフィールドにはとても満足しています。

頭を使わない雑談という、最高の処方箋
タウンへ出向いた名目は、明日の「ビジネスフォーラム」に向けたブース出展の事前準備でした。ただ、実務的な段取りは早々に切り上げ、午後の大部分は集まった隊員仲間たちとテーブルを囲んで他愛もないおしゃべりに興じて過ごしました。
ここ最近は、平日は朝から晩までフィールドワークに追われ、週末もイベント準備や資料作成でPCに向かい続けるなど、ほぼフルタイムのノンストップで走り続けていました。
放っておくと延々と手を動かしてしまう性格だからこそ、こうしてたまには人と会い、半ば強制的に稼働をストップさせてオフの時間を作ることは、活動を持続させる上で不可欠な防衛策です。
交わした会話の内容は、大半がどうでもいいくだらない雑談ばかりでした。
ただ、何の利害関係もない仲間と、頭を一切使わずに笑い合う。
その何気ない時間の経過とともに、自分でも気づかないうちに擦り減っていた精神のバッテリーが、じわじわと温かく満たされていくのが分かりました。
心と頭の緊張感を心地よくほぐすことができた、贅沢な木曜日の午後。
エネルギーをしっかりと満タンまで充電して、明日も頑張ります。
