【ケニア派遣296日目】踊れば通じるケニアの呼吸。思わず見惚れた美しすぎる農地

ケニア派遣296日目。毎週通うはちみつ農家グループで時間をもらい、構えない英語と即興のダンスで確かな手応えを実感。午後は農業省本部から降りてきたメイズ聞き取り調査に同行し、1人1時間かかる長丁場から「調査への向き不向き」を冷静に自覚します。見惚れるほど美しい農地でのんびり暮らす人生の選択肢に想いを馳せつつ、通学路の危険に憤る同僚のまっとうな感覚にホッとした一日を綴ります。

踊れば通じるケニアの呼吸と、構えない英語

午前中は、毎週恒例となっているはちみつ農家グループのトレーニングへ足を運びました。

先週は遠征などの都合でスキップしてしまったものの、それ以外の週はずっと顔を出し続けています。その積み重ねのおかげか、集まるメンバーたちから仲間の一人として、少しずつ自然に受け入れられている空気を感じます。

今日もセッションの途中で少し時間をもらい、私からメンバーに向けて話をさせてもらいました。

以前話した時と比べて、明らかに手応えが違いました。
私の言葉に耳を傾けてくれている感覚が伝わってきました。

私自身の内側に、余裕が生まれていたのも大きかったのかもしれません。
以前のように「ちゃんと伝えなければ」「正しい文法で話さなければ」と肩肘を張ることもなく、リラックスした状態話すことができました。

振り返ってみると、最近は英語を話す際にも、特段身構えることなく自然に言葉が口から出てくるようになっています。
この語学面での精神的なハードルが下がったことも、対話の質を一段押し上げてくれている要因です。

歌を歌っている時間には身体を揺らして踊ってみせると、参加者たちからドッと歓声が上がり、満面の笑みで喜んでくれました。

郷に入りては郷に従い、時に理屈を脱ぎ捨ててノリを共有する。
この地での人との距離の縮め方を、私の身体が少しずつ心得てきたような気がします。

伝言ゲームをして盛り上がるケニア人

1人1時間の果てしなさと、「向き不向き」の自覚

午後は、同僚オフィサーが行っている農業事務所の業務のお手伝いをしました。

ケニアの農業省本部から現場へと直々に降りてきた、メイズ(トウモロコシ)関連の大規模な実態調査です。
内容を聞いて、思わず目を見張りました。2週間という短い期間の中で、オフィサー1人あたり、決められたエリアで約50人もの農家を自力で探し出し、個別に対面でヒアリングを行わなければならないという。

同僚から「専用の調査アプリをスマートフォンに入れて、トムも1人で何人か回ってくれないか」と頼まれました。
しかし、私の端末ではアプリのインストールがうまく進まず、結果的に1人での調査作業はスルーすることができました。正直、助かりました。

ということで、今日は同僚と二人三脚でフィールドへ繰り出すことに。

記念すべき1人目の農家さんのもとへ到着し、ヒアリングを開始しました。
ところが、質問が終わった頃には、時計の針が1時間進んでいました。

長すぎる…

電波状況が悪くてアプリの画面遷移に時間がかかることも一因ですが、それ以上に質問の項目数が膨大でした。
メイズの栽培面積、過去の収穫量、混作の有無、収穫後の保存資材、病害虫の発生状況、そして近年の水不足の影響や課題まで。ありとあらゆるデータを網羅的に掘り下げていきます。

(これ、本当に2週間で50人も終わるのだろうか……)

同僚の隣に座りながら、途方もない作業量に思わず遠い目をしてしまいました。

しかし、記録を残している農家はおらず、回答は曖昧なものが多い。
はたして、これはどの程度正確なのか。ひいては意味があるのか。

ずっとモヤモヤしていました。

また、おそらく私はこうしたアンケート形式の調査という業務に対して、あまり面白みを感じられないタイプなのだと痛感しました。

協力隊の仲間の中には、こうした泥まみれの聞き取り調査に生きがいを見出し、データ集めや課題の可視化を心から楽しんでやり切る隊員もたくさんいます。これは能力の優劣ではなく、完全に個人の向き不向きの問題です。

自分は何にワクワクし、何にエネルギーを注ぎ込めるのか。
他人の仕事を手伝ったからこそ、自分の興味の輪郭が逆説的にくっきりと浮かび上がってきました。

呆けるほど美しい農地と、人生のもう一つの選択肢

調査そのものには少しモヤモヤや退屈さを覚えていた反面、歩きながら目にする農村の風景には、息を呑むほどの感動を覚えました。

マトゥングの奥深くに広がる農地は、どこを見渡しても本当に美しい。

風に揺れるサトウキビの穂先、柔らかい陽光を浴びて広がるトウモロコシ畑。人工的な建造物が一切視界に入らないその圧倒的な緑のグラデーションに、思わず足を止め、魂を奪われたように呆然と見惚れていました。

ふと我に返ると、スタスタと先を歩く同僚の背中は遥か彼方に霞んでおり、完全に取り残されていました。
慌てて小走りで追いかける羽目になりましたが、それほどまでに引き込まれる圧倒的な美しさが、この土地には満ち満ちています。

耳を澄ませば、遠くから聴こえてくる鳥の鳴き声と、木の葉が擦れ合う微かなざわめき。

こんな静かで豊かな自然に囲まれ、時間の流れを気にせず、畑を耕しながらのんびりと生きる暮らし。
それもまた、人生の選択肢として、十分に魅力的でアリかもしれないなと、思えました。

せかせかと数字や効率を追いかける世界だけが、人生のすべてではありません。

18時の疲労と、同僚が見せた「まっとうな怒り」

結局、あちこちの農家を歩き回るフィールドワークは、夕方の18時過ぎまで続きました。

朝からはちみつの現場へ行き、午後はひたすら歩いて農家を探し、言葉を交わし続ける。
家に戻る頃には、足の裏はずっしりと重く、頭のワーキングメモリもすっかり擦り切れて、強烈な疲労感に包まれていました。歩くのも、人とコミュニケーションを取り続けるのも、想像以上にエネルギーを消費します。

作業の道中、印象的な出来事がありました。

ちょうど地元の小学校の下校時刻と重なり、小さな子どもたちが集団で幹線道路を渡ろうとしていた時のことです。

大型トラックや猛スピードのボダボダが行き交う危険な道路。
それにもかかわらず、子どもたちの周りには引率する大人の姿が一人も見当たりませんでした。

その光景を目にした瞬間、隣を歩いていた同僚が、激しい怒りを露わにしていました。

「学校の先生たちは、本当に怠惰だ。こんなに車やバイクが猛スピードで飛ばしている危ない道なのに、どうして先生が最後まで付き添って子どもたちを渡らせてあげないんだ。」

その強い憤りの言葉を聞いて、胸の奥が少し軽くなりました。

普段、ケニアで暮らしていると、交通ルールや安全管理に対する現地のルーズさに頭を抱える瞬間が多々あります。
何事も「神の思し召し」で片付けられてしまうような適当さに直面し、価値観の違いに寂しさを覚えることも少なくありません。

しかし、 子どもたちの命の危険を当たり前に察知し、大人が守るべき責任の放棄に対して、真っ直ぐに怒りを燃やすことができる。

この普遍的で、まっとうな危機感や優しさは、ケニア人の中にも確かにしっかりと息づいていました。