【ケニア派遣288日目】「アンパンマンの正義」と消えたクッキー。高尚な思考の1時間と、11時間爆睡した帰路

ケニア派遣288日目。盆踊りの熱狂を背に、朝のバス停でタクシー運転手の集金をかわして12時間の帰路へ。無償で汗を流す大人たちの姿から「アンパンマンの正義」や友人のクッキーのエピソードを思い出し、人のために生きる純粋な幸福とソーシャルビジネスの本質を考察。しかし高尚な思索は1時間で力尽き、残りは爆睡。電気も水もない我が家へ帰還したリアルを綴ります。

バスの窓と、タクシー運転手をかわした朝

月曜日の朝。
夢のように贅沢で刺激的だったナイロビでの週末が明け、早朝から一人でバス停へと向かいました。
ここはやっぱりケニアでした。乗ったタクシーの運転手から、謎に追加のお金を要求されました。
朝から、無駄な体力を使わせるなよと思いながら、なんとかヘラヘラした笑顔でかわし、バスに乗り込みました。

任地マトゥングへの帰路へ。
実に12時間を超える果てしない陸路の旅が始まります。

ガタガタと揺れるバスの座席に深く腰を沈めていると、楽しく贅沢だった記憶が遠ざかり、急速に現実へと引き戻されていく感覚がありました。

盆踊りイベント、おそらく数千万円規模の莫大な費用がかかっていたはずです。

それだけの資本と人を動かしておきながら、完全に利益度外視の狂宴。運営もボランティアも、給料をもらって動いているわけではありません。話を聞いてみれば、普段は海外のビジネスの最前線で途方もない金額を稼ぎ出しているような猛者もたくさんいました。

それほど優秀な大人たちが、見返りや損得勘定を一切放り投げて、異国の土の上で汗を流して一つの祭りを作り上げる。
その姿が、たまらなく格好良く、美しいと思えました。

「自分のために稼いで、それで?」という違和感

窓の外を流れる荒涼とした景色を眺めながら、自分がそもそもどうしてボランティアとして協力隊に参加したのか、その原点の記憶を手繰り寄せていました。

日本でそのまま会社員を続けていれば、今よりもずっと多くの給料をもらえていたはずです。蛇口をひねれば温かいお湯が出て、スイッチを押せば部屋が明るくなる。何一つ不自由のない、快適で安全な生活が約束されていました。不満がないことがイコール幸福なのだとしたら、そのレールの上に留まり続ける選択肢もあったはずです。

しかし、その当時から、どうしても拭い去れない疑問がこびりついていました。

自分のためだけにお金を稼いで、美味しいものを食べて、欲しい服を買って…それで、何になるんだろう?

これは、自己犠牲を美化したいわけでも、綺麗な聖人君子を気取りたいわけでもありません。
アリストテレスが言ったように人間は社会的動物なんです。
一人で生きられない代わりに、誰かの役に立って喜ばれることが、純粋に幸せで、気持ちよく感じるように設計されているように思います。

世間には、そうした利他精神を指して「偽善だ」「綺麗事だ」と冷笑する人もいます。
しかし、そんな外野のノイズなど知ったことではありません。自分がやっていて楽しくて、結果として目の前の誰か一人でも「楽しい」「幸せだ」と笑ってくれるなら、それで十分すぎるほどお釣りが出ます。

かつて旅人をしていた頃、見知らぬ人たちに無条件で助けられ、その温かさに救われて日本へ帰ってきました。だからこそ、今このケニアの地で私が得たいのは、通帳の数字ではなく、単純で混じり気のない幸福の実感なのだと思います。

もちろん、思い通りにいかない苦しい瞬間や、理不尽に頭を抱える日は山ほどあります。
しかしその摩擦も含めて、ここでしか触れられない生の手触りは、何物にも代えがたい人生の財産です。

今日の座席、狭すぎてピタッとはまっていたので、揺れても体が動かずに済みました。

アンパンマンの正義と、胃袋を満たした消えたクッキー

そんなことを考えていたとき、同期隊員が先日話してくれたあるエピソードを思い出していました。

活動のストレスが極限まで溜まり、無性に甘いものが食べたくなって、街でクッキーを一袋買って我が家への道を歩いていた時のこと。
しかし、道端を歩いていると、近所の子どもたちに「ちょうだい!」と群がられ、手元のクッキーを一枚、また一枚と笑顔で手渡していくうちに、家に辿り着いた頃にはクッキーの袋は完全に空っぽになっていたそうです。

結局、自分の口には一枚も入らなかった。

でも不思議なことに、甘いものを食べたかったはずの心が、なぜだかものすごく深く満たされていて、もうクッキーが必要なくなっていた。

…

彼のその話に、全身全霊で共感しました。
自分の飢えを満たすために抱え込むことよりも、他者へ差し出して生まれた笑顔を受け取ることの方が、心の奥底にある空腹を満たしてくれる。

そういえば、日本を出発する前、自分が最も大切にしたい指針として「アンパンマンの正義」を胸に刻んでいたことを思い出しました。 お腹を空かせた者に、自らの顔をちぎって差し出す。傷つき、自らの身を削りながらも、目の前の誰かに温もりを届けるあの姿。

ただ、今の私自身が、聖者のようにすべてを投げ打って身を切り売りできるかと言えば、決してそんなことはありません。 自分だけの静かな時間は絶対に確保したいですし、たまには自分の欲望のためにお金や時間を使って贅沢をしたい瞬間もあります。自己犠牲で自分が干からびてしまっては元も子もないので、そこは自分を甘やかすバランスが不可欠です。

世間では数年前から「ソーシャルビジネス」という言葉が盛んにもてはやされています。 社会を少しでも良くするために、あらゆる仕事は存在しているはずです。ブルシットジョブが世の中に全く不要だとは言いません。それでも、本当に頭が良く、エネルギーに満ちた優秀な人間たちこそ、すぐにはお金に変えにくい、農業や教育といった社会の根本を支える領域に飛び込んで汗を流してほしいなと、勝手ながら思ってしまいます。

身体を張って誰かのために生きる。
その眩しい格好良さを、盆踊りの大人たちに改めて思い出させてもらった気がしました。

高尚な思索は1時間、残りの11時間はただの屍

……と、ここまで窓の外を見つめながら熱く、深く、思考を繰り広げていた私。

しかし、そんな思索に耽っていたのは、バスが走り出してからの最初の1時間だけでした。

思考の体力が切れた瞬間、全身の筋肉から急速に力が抜け、残りの11時間はただただ口を半開きにして、白目を剥きながら死んだように爆睡していました。
それだけではなく、約13時間かけてマトゥングの我が家に辿り着き、荷物を床に投げ捨てた後も、そのままベッドへと倒れ込んで泥のように眠り続けました。

大勢の人波に揉まれ、初対面の人たちと気を張り詰めて言葉を交わした代償。私のキャパシティは、とっくの昔に臨界点を突破し、完全なガス欠を起こしていたようです。自分の体力の底の浅さに苦笑いするしかありません。

1泊120ドルの豪華ホテル、途切れない高水圧の温かいシャワー、サウナとプール。
あの天国のようなナイロビの生活から一転、帰ってきた我が家には、安定の「電気なし・水なし」の現実が待っていました。

蛇口をひねっても乾いた音が虚しく響くだけ。 落差が激しすぎて笑えてきます。
世界の夜はこんなにも暗かったのかと驚かされます。

相変わらず過酷で、不条理で、苦しい。
でも、不思議とこの暗闇に身を置いていると、心がストンと落ち着いていく自分に気づきます。

人のために生きる格好良さを胸の奥にしまい込み、まずは目の前にある水のない不便さを笑い飛ばすところから。 明日からも、この騒がしくて愛おしい私の現場を、全力で楽しんでいきます。

黒い画像ではありません。真っ暗なリビングの写真です。