溜まった生活タスクと、「生きているだけで忙しい」日常
月曜日、新しい一週間の始まりです。
週末はエルドレットへ遠征していたため、家を空けていた分の細々としたタスクが山積みになっていました。
朝と夕方の隙間時間を見つけては、それらを一つずつ片付けていきます。
手作業での洗濯、自作アプリへの家計簿の入力、部屋の掃除、ブログ執筆など。
誰かに指示された仕事ではなくても、人間はただ生きているだけで、こなさなければならない雑事が驚くほどたくさん発生します。日本にいた頃は家電や便利なサービスが肩代わりしてくれていた家事の数々も、ここではすべて自分の手先と時間を動かして処理しなければなりません。
わずか2日間離れていただけなのに、この不便で素朴な日常に戻ってくると、ずいぶんと久しぶりの場所に帰ってきたような不思議な錯覚を覚えました。
やるべきタスクが目の前に次々と押し寄せてくる感覚。
バタバタと追われながらも、こうして自分の手足を動かして生活を回し、取り組むべき活動があることは、ありがたく贅沢な忙しさなのだと感じます。
きのこプロットの巡回と、同僚との作戦会議
日中は、パートナーであるきのこ農家さんのもとへ足を運びました。
第2サイクルの菌床の状態を観察し、菌糸の広がりや衛生環境を細かくチェックしていきます。さらに、これから迎える収穫のタイミングを見据え、農家さんと今後の具体的な動き方や管理のスケジュールを丁寧にすり合わせました。
事務所に戻ってからは、同僚オフィサーと今後の作戦会議を開きました。
10月中旬に控えているファーマーズマーケットの構想をはじめ、いちごのプロット管理など、話し合わなければならないアジェンダは尽きません。
机を挟んで意見を交わし、課題を洗い出していく時間は、とても知的好奇心を刺激されるひとときです。現場に出て、人と話し、頭をフル回転させる。心地よい疲労感が、夕方になるにつれてじわじわと全身に染み渡っていきました。

雨と引き換えに消えた電気、そしてエルニーニョの影
夕方、空が急速に暗くなったかと思うと、大地を叩きつけるようなしっかりとした雨が降り注ぎました。
ずっとパサパサに乾ききっていたマトゥングの土が、一気に水分を吸い込んでいきます。
そして、ついに水道の蛇口から水は流れてきました。
しかし、その恵みの雨と完全にタイミングを合わせるかのように、今度は部屋の電気がプツンと音を立てて消え去りました。
水が来れば、電気が止まる。 電気が通れば、水が干上がる。
ここでは、インフラの二大巨頭が同時に平和に共存してくれる瞬間が本当に少ないです。
雨音だけが響く薄暗い部屋の中で、「やっぱりケニアだな」と苦笑いしてしまいました。
そして今、ケニア全土で大きな警戒感を持って語られているのが、これから年末にかけてピークを迎えると予測されている「エルニーニョ現象」による異常気象です。
気象予測によれば、過去に甚大な被害をもたらした時と同等、あるいはそれ以上の「災害級の大雨や洪水」が国土を襲う可能性があると警告されています。
つい昨日まで深刻な乾燥に頭を抱え、水不足で作物が枯れるリスクに怯えていたというのに、今度は一転して「豪雨による冠水や病害虫の激増」という真逆の恐怖に備えなければなりません。
極端な乾燥か、それとも容赦ない大雨か。
農業という営みは、どこまで行っても気候というコントロールできない巨大な自然の力と隣り合わせです。
人間が机の上でどれだけ精緻な事業計画を引いたところで、空のご機嫌一つで前提条件が根底から覆されてしまう。その不条理さと難しさを、窓の外を激しく打つ雨粒を見つめながら改めて思い知らされます。
自然をコントロールしようと驕るのではなく、変化をいち早く察知して柔軟に適応していくしかありません。
