視野を広げる旅と、土を耕す農業の原点
月曜日、新しい1週間の始まりです。
日本ではお盆明けですね。気候も仕事も一定なここでは、お盆を感じることがありませんでしたが…
さてここ最近は、ずっと自分の任地であるカカメガの中に留まり続けており、自分自身の視野が少し狭まっているのを感じていました。よって、今週からは積極的に外の地域へと足を伸ばすことにします。
さっそく今日は、隣のカウンティ(日本でいう県)で活動する同期隊員のもとを訪れました。
彼は稲作隊員として、お米の研究を行いながら現地農家への普及活動に取り組んでいる心強い仲間です。
今日の作業は、お米の播種に向けた圃場の準備。
日本であればトラクターや耕うん機といった機械を使ってあっという間に終わってしまう作業です。しかし、ここでは鍬と手だけを使う、極めて素朴な手法でひたすら土を耕し、生い茂る雑草を取り除いていきました。
容赦ない太陽が照りつける炎天下。汗を大量に流し、全身を土で汚しながらの作業は楽なものではありません。ただ、その過酷さと同時に、自分の肉体を使って土を作っているという心地よい充実感が身体を満たしていきました。
農業は、まず土の準備から始まる。
機械のない現場だからこそ、作物を育てるための原点を肌で思い出すことができました。手作業の重みを知る、良い体験です。


「農大」のネットワークと、専門性が生む圧倒的な熱量
汗を流して手を動かしながら、同期隊員、そして短期派遣で新しく来ている2人の隊員とさまざまな話を交わしました。
彼ら3人は全員が東京農大の在学生です。
彼らと話していると、農大が持つ世界規模のネットワークの強さや、特定の領域に対するオタク気質とも言える深い専門性に、知的好奇心が大いに刺激されました。思い返してみれば、私がこれまで日本やケニアでお世話になってきた優秀な農家さんたちの中にも、農大の出身者が本当に多く存在していました。
農学という枠組みの中に、ビジネス、環境、国際開発まで、多岐にわたる専門分野が深く根を張っている。
農業に関わる学問の裾野の広さと奥深さに、改めて感嘆させられました。
一方私自身はこれまで、自分の出身大学に対して強烈な縦や横の繋がりを意識する機会はそれほど多くありませんでした。(二本松訓練所には同じ大学・学部の出身者が5人ほど同期でいましたが)。特定の専門性を突き詰める単科大学や単科領域だからこそ育まれる、強い連帯感と専門家としての熱量があるのだと、彼らの存在を通じて実感しました。
羨ましい。

開発ボランティアが抱える構造的なジレンマと、減りゆく水
作業の合間には、ボランティアとして稲作や農業支援に向き合うことの構造的な難しさについても話しました。
お米の生産量を飛躍的に伸ばすためには、灌漑設備の導入が不可欠です。しかし、大規模な灌漑設備が整備できるほどの予算とインフラが整ってしまえば、その現場はすでにボランティアの支援を必要としないフェーズへと移行しています。
一方で、現状のような小規模な手作業の稲作のままでは、収穫後の精米などの処理コストも重くのしかかり、農家がビジネスとして大きく利益を出すことは極めて難しい。
大規模になるとボランティアは不要になり、小規模のままでは経済的に成り立たない。
この逃れられない構造的なジレンマは、稲作において特に顕著にあらわれる課題ですが、決して彼らだけの問題ではありません。私が取り組んでいるキノコやいちごのプロジェクトを含め、途上国で草の根の普及活動に挑むすべての協力隊員が直面している共通の壁でもあります。
理想と現実の狭間でどうアプローチを組み立てるべきか、同じ視点を持つ仲間から悩みを聞けたことで、自分の活動を客観的に見つめ直す貴重な時間となりました。
やはり、外に出て良かったです。

夕方、自分の家に帰宅。
しかし、我が家の断水は、依然として終わる気配がありませんでした。 バケツに蓄えていた貯水も刻一刻と減ってきており、生活の足元が脅かされるリアルな怖さがじわりと胸に迫ってきます。
外で得た刺激と、家で向き合う過酷なインフラの現実。
最近水浴びができておらず、少し臭くなった自分自身も受け入れながら、今夜も明日からの活動に備えます。

合計で行きの倍くらいの時間がかかりました。