高設栽培の必然と、「いかに楽をするか」という農業の真理
今日は一日、いちごのプロットで管理作業に汗を流しました。
株の量が増えてきたからこそ、手入れの作業量が増えています。生い茂った葉を一枚ずつかき、小さな実を間引く摘果を行い、伸び放題の蔓(ランナー)や雑草を丁寧に取り除いていく。
作業を続けながら、現在の栽培環境の課題がより鮮明に見えてきました。
やはり、今のバナナの葉を敷くマルチは管理の面で限界があります。
雑草の発生を防ぎ、水分を適切に保持するために、枯れ草あるいは、プラスチックマルチを導入したいです。
また、ずっと中腰で屈み込んで作業を続ける肉体的な負担も相当なものです。
日本で、なぜ多くのいちご農家が高設栽培(机のような高い位置での栽培システム)を選択するのか、その必然性が身に染みて理解できました。
作業の負担を減らし、いかに楽をして管理できるか。
農業を持続可能なビジネスとして成り立たせるために非常に重要な戦略であると、痛む腰を伸ばしながら実感していました。
伝統野菜とは違う繊細さと、未来へのデータ蓄積
畑を見渡すと、花はそれなりに咲いており、小さな赤いフルーツもあちこちに点在しています。
ただ、まだ市場で販売できるレベルのまとまった量には達していません。 大きさも形も不揃いで、商品としての揃いは不十分です。
ほったらかしにしておいても逞しく育つ現地の伝統野菜とは違い、フルーツという作物は本当に繊細で、気が抜けません。
それでも、実際に口に含んでみると、味自体は決して悪くありません。
それが今の希望です。
こうして次々と新しい課題にぶつかっている現状は、プロジェクトの初期トライアルとして見れば、価値の高いプロセスであるとも思えます。
現場で実際に直面し、解決してきたこのトラブルシューティングのデータは、年内に計画している農家向けのフィールドデイ(実演展示会)で、参加者に提示できる実践教材になるはずです。
何事もポジティブに捉えようと、自分自身に強く言い聞かせながら、作業を進めました。
事務所に戻った後は、同僚オフィサーたちと今後の課題を共有し、協力を求めました。
彼らが実際にどこまで動いてくれるかは分かりませんが、伝えるべきことはしっかりと口にしておきました。

終わらない断水と、暗闇の中で込み上げる涙
作業を終えて我が家に帰宅。
しかし、心の中は定期的に来るネガティブ期の渦に飲み込まれていました。
いつまで経っても終わる気配のない深刻な断水。
何日も全身をさっぱりと洗い流す水浴びすらできず、日常の不快感や精神的な汚れを綺麗にリセットすることができません。そして、水が出ないためにトイレの汚物が流されず、部屋のすぐ近くに留まり続けているという衛生面での過酷な現実。
その生活環境の劣悪さが、精神を直接削りとってきます。
活動が思うように進まない焦り。
(どうして自分は、ここまでの苦しい思いをしてまで、この地で何かを得ようとしているのだろう)
油断をしてふっと気を緩めてしまったら、目から涙が溢れ出してしまいそうです。
考える隙間を作ってしまったら、そのまま暗闇に引きずり込まれてしまう。
だから、今はただ、目の前にあるタスクをひたすらこなし、動き続けることでしか、この時期を脱出する術はありません。
今は前を向いて、必死に踏ん張ります。
