【ケニア派遣251日目】蝋燭とジャズ、停電の土曜日。不便さの中に生まれる工夫する余白の豊かさ

ケニア派遣251日目。停電の土曜日、水が出る午前のうちに傷みそうな食材で自炊に勤しむ日常。夜は蝋燭を灯しジャズを聴きながら読書を楽しみ、「足りないからこそ生まれる工夫と余白」の豊かさを考察。毎月の発熱を乗り越え、2ヶ月間体調が安定したことで再開したトレーニングと、ケニアに適応した身体の実感を綴ります。

停電の土曜日と、水のあるうちの台所仕事

今日も今日とて、朝から容赦ない停電に見舞われました。

電気の供給が途絶えると、冷蔵庫の機能が止まり、電子機器の充電も気を使わなければならなくなるため、暮らしの難易度は少し上がります。

ただ、幸いなことに午前中の間は水道から水が流れていました。

電気がない中で食材が傷んでしまうのを防ぐため、水が使えるうちに台所に立ち、残っていた食材をまとめて色々と料理することにしました。

包丁で野菜を刻み、鍋に火をかけて煮込み、出来上がった料理を順に口に運ぶ。

不便利さの中で工夫して作った温かい料理は、それだけでお腹も心も満たしてくれます。

蝋燭のあかりとジャズ。「足りない」からこそ生まれる余白

陽が落ちて室内が暗闇に包まれた後は、小さな蝋燭に火を灯しました。

ポータブル電源を使い、お気に入りのジャズを流す。
少しだけ甘い飲み物をグラスに注ぎ、揺らめく炎のあかりを頼りに、本のページをゆっくりとめくっていきます。

文明の利器や電気がすべて揃っている快適な日常では、わざわざ蝋燭を灯して読書をすることなんて、めったにありません。

電気がない。水がない。物がない。

そうした足りない環境だからこそ、不便さを楽しむための新しい工夫や、優雅な時間が手の中に生まれてきます。

人間が心豊かに生活を営んでいくために本当に必要なのは、完璧に整えられたシステムやモノの豊富さではなく、自分の頭と身体を使って日常を面白がるための工夫する余地・余白そのものなのかもしれません。

暗闇に浮かぶ蝋燭のあかりを見つめながら、いろんなことに考えを巡らせていました。

毎月の発熱を乗り越えて。身体がケニアに適応した手触り感

最近、私の中で小さな変化が起きています。
トレーニングを、久しぶりに再開したことです。

赴任してからの最初の半年間は、とにかく過酷な適応期でした。
およそ1ヶ月に1回のペースで、原因の特定できない高熱をガッツリと出しては寝込んでおり、体調が到底安定しませんでした。そのため、身体を意識的に追い込むようなトレーニングを行う余裕がありませんでした。

しかし、ふと振り返ってみると、ここ2ヶ月ほどは一度も大きく体調を崩すことなく、健康で安定した状態を維持できています。心だけでなく、身体もこの土地の風と暮らしに、ようやく適応してくれたのだと思います。

少し身体が重くなってきたのを感じていたため、これを機に再び運動の習慣を取り戻すことにします。