マルチタスクの限界と、ネズミのいる日常
今日は農家さんと会う約束をしていましたが、連絡が取れなかったため諦め、家でゆっくり過ごすことにしました。
溜まっていた掃除をし、料理を作る。 しかし、相変わらず部屋の片隅にはネズミの糞が落とされており、見るたびに嫌な気持ちになります。猫が欲しいと思う瞬間です。
家事を進めている最中、ふと気づくと水を出しっぱなしにしていたり、洗い物や料理を途中で放置したまま別のことをしていたりする自分に気づきました。「あれ、どこに置いたっけ?」と物を探す時間も増えています。
原因は明白です。家事をしながら、耳でPodcastやAudiobookをずっと聴いているからです。 思考が別の場所へ持っていかれ、ワーキングメモリがオーバーフローを起こしている。マルチタスクに対して脳のキャパシティがついていっていないことを痛感します。集中力を適切に配分するためにも、もう少し目の前の作業に意識を向けなければと反省させられます。
作品の「見返し」が映し出す、自分自身の変化
1週間に1冊を目標にしている読書。
少し遅れ気味ではありましたが、今日は溜まっていた2冊分の感想をまとめました。
本やアニメ、ドラマなどのコンテンツを継続して摂取し続けていると、自分の中に新しい参照点が増えていくのを実感します。「あ。この展開やテーマは、以前見たあの作品のあのポイントと通底しているな」という気づき。それこそが、知的好奇心の正体なのだと感じます。
最近は、過去に一度触れたドラマや本を、見返すことを積極的に行っています。
これが、想像以上に面白い。 高校時代や大学時代に浴びるように読んできた本や漫画。当時は分からなかった深みや、文脈の巧みさに今になって気づかされ、「この作品はこんなにも面白かったのか」と新鮮な出会い直しを経験しています。
作品という触媒を通して、過去の自分と今の自分を照らし合わせる。 その対話によって、自分がどんな経験を積み、どう変化してきたのかを客観的に自覚することができるのです。昔からたくさんの作品に触れてきて本当に良かった、と過去の自分に感謝したくなります。
迫り来るSFのリアリティと、譲れない人生の生きがい
特に、SF作品を見返したときの衝撃は別格でした。
最近、『PSYCHO-PASS』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を改めて鑑賞したのですが、かつては遠い未来のフィクションとして楽しんでいた世界観が、驚くほどのリアリティを持って迫ってきました。
AIの加速度的な進化、管理される社会、人間性の定義。 たった数年前に思い描いていた「SFの世界」は、もうフィクションではなく、目と鼻の先まで迫ってきている。その時代の変化を肌で実感できるのは、恐ろしくもあり、どこか無性に刺激的でもあります。
私にとって、本、映画、漫画、アニメといった物語世界は、単なる暇つぶしのエンターテインメントではありません。
大げさではなく、それらは私の人生における「生きがい」そのものです。 もしこれらを楽しむ時間を奪われてしまったら、それ以上に辛いことはありません。
部屋に潜むネズミへの愚痴をこぼしつつ、頭の中では遥かなSFの世界へと思いを馳せる。
今夜も、お気に入りの作品が与えてくれる濃密な余韻を抱きしめながら。