集まらない材料と、「使われている」というモヤモヤの正体
今日からはいよいよ、キノコ栽培の第2サイクルを本格的に始動させようと意気込み、畑へと向かいました。
しかし、現場に到着して突きつけられたのは、期待とは裏腹な現実でした。
必要な資材や材料が集まっていなかったのです。
仕込みに取りかかることすらできず、手持ち無沙汰のまま立ち尽くす。
準備が進んでいない悔しさとやりきれなさが、胸の奥からじわじわと込み上げてきました。
現場の様子を見ていた同僚オフィサーから、ぽつりと声をかけられました。
「もっと彼らから上手に手を引きなよ。君は都合よく使われているよ。でもプロジェクトはしっかりやり切る。」
彼女のその言葉は、痛いほど胸に突き刺さりました。
自分でも薄々感じていた違和感。 「誰かの役に立ちたい」という善意は、お互いが当事者意識を持ち、対等に汗を流し合う「Win-Win」の関係性があってこそ成り立ちます。相手も真剣にリスクを負い、前に進もうとしているならば、私はいくらでも献身的になれるし、力を尽くすことができます。
しかし、こちらだけが必死に走り回り、相手は部屋で座って待っているだけという非対称な状態は、支援ではなくただの都合の良い労働力の提供でしかありません。
自分が一人で勝手に空回りし、エネルギーを搾取されている虚しさ。 自分ばかりが頑張っている状況は、何かが根本的に間違っていると、改めて冷徹な境界線を引く必要性を突きつけられました。
現代の協力隊の役割は「技術を渡すこと」ではない
そもそも、今の時代において、人々のモチベーションがない場所に外から知識を押し付けたところで、何の意味もありません。
昔と違い、スマートフォンを開けば世界中の最新の栽培ノウハウや農業情報が簡単に手に入る時代です。情報ややり方そのものは、探そうと思えばいくらでも手に入る環境にあります。
だとするならば、現代のボランティアや国際協力に本当に求められている価値とは何なのでしょうか。
それは、手取り足取りで技術を移転することでは到底ありません。 相手の中に「やりたい」という熱量が生まれた瞬間に、適切なタイミングで、適切な場所に、必要なリソースや人、ノウハウを繋ぐこと。ハブや触媒としての役割を果たすことこそが、いま私たちが担うべき本当の仕事なのだと感じます。
手放すべきお膳立ては手放し、彼らが自らの足で動き出すのを待つ。 来たるべきタイミングで最高の「繋ぎ」ができるように、私自身は客観的なポジションを保ちながら、彼らとの距離感をもう一度フラットに測り直していこうと思います。
歌と踊りのケニア流ミーティングと、養蜂のポテンシャル
午前中のモヤモヤを抱えたまま、午後は養蜂の農業グループのもとを訪ねました。
ここで目にしたのは、ケニアのローカルコミュニティならではの、実に活気あふれる集会の風景でした。
ミーティングが始まるやいなや、リーダーの呼びかけに対して参加者全員が威勢よく応えるコール&レスポンスが始まり、手を叩き、歌い、身体を揺らしながら踊り出す。 これこそが、人々を鼓舞し、場全体の熱量を一気に引き上げる「ケニア流ミーティング」のスタイルです。
日本の静かな会議に慣れ親しんできた私にとって、自ら率先して歌って踊り、場をリードすることはなかなかにハードルの高いです。それでも、現地の人々と共に汗を流し、彼らを本気にさせていくためには、郷に従い、彼らのカルチャーの中に飛び込んで一緒に楽しむくらいの柔軟さや度胸が必要なのだと痛感させられました。
養蜂グループ自体はまだ立ち上がったばかりで、外から来た私がペラペラとアイデアを提案するような段階ではありません。 しかし、「ハチミツ」と私が力を入れている「いちご」は、受粉(交配)の面でも非常に相性が良い組み合わせです。まずは焦らず、彼らのコミュニティに顔を出しながら信頼関係を築き、良いタイミングでシナジーを生み出せる選択肢を探っていこうと思います。

包丁の音と、無心になれる夜のキッチン
夕方、任地の我が家に帰宅。 昼間のモヤモヤや頭の中の思考をリセットするために、キッチンに立ってじっくりと自炊に没頭しました。
トントンとリズムよく食材を刻み、鍋から立ち上る湯気を眺めながら、丁寧に料理を仕上げていく。
誰かの都合に振り回されることもなく、ただ目の前の食材と向き合うこの時間だけは、余計な雑念が消えて完全に無心になれる、私にとって最高のストレス解消法です。
思い通りにいかない不条理も、自分ばかりが頑張ってしまう葛藤も。 美味しい手料理を胃袋に収めてしまえば、少しずつフラットな自分を取り戻していくことができます。
明日こそ、彼らが自分の足で一歩を踏み出せるように。
無理に背負い込むのをやめ、私自身のしなやかなペースで、現場に向き合っていきます。
