【ケニア派遣220日目】「食べ慣れている」という美味しさの境界線。照り焼きチキンが絶賛された理由と食の習慣

ケニア派遣220日目。旅人や学生と臨んだ異文化交流パーティで日本食を披露。照り焼きチキンの柔らかさが大絶賛される一方、味噌汁や漬物に手をつけない現地人の反応から「美味しい=食べ慣れている」という食文化の真理を考察。さらに、住所のないマトゥングでスワヒリ語のみで宅配便を受け取った緊迫のやり取りを綴ります。

異文化交流での大絶賛と、「美味しい」の奥にある習慣

午前中は異文化交流パーティが開催されました。

私たち日本側は日本食を、ケニア側は地元のケニア料理をそれぞれ持ち寄り、お互いの食文化を説明し合いながら交流を深めるという素晴らしい機会です。メンバーは、世界一周中の旅人さん、村の研究活動で滞在している日本の大学生、そして私たち協力隊員2人の計4人の日本人で臨みました。

今回、私たちが用意したメニューのなかでも、特に「照り焼きチキン」がケニアの人々に好評でした。

「鶏肉が柔らかい」

驚いていました。
使っている鶏肉は、彼らが普段から市場で買っているものと全く同じものです。違いは、単純に「火の通し方」にあります。ケニアでは衛生上の懸念やこれまでの習慣から、肉には中心までこれでもかと完全に火を通し、カチカチになるまで加熱するのが一般的です。そのため、適切な温度と時間でジューシーに仕上げた日本の調理法は、彼らにとって未体験の柔らかさだったのでしょう。料理の基本である「熱のコントロール」の重要性を改めて実感しました。

しかし、すべての日本食が彼らに響いたわけではありませんでした。 人によっては、あまり刺さっていない様子もはっきりと見て取れました。 実際に、丁寧に作ったはずの味噌汁の具材はほとんど器の底に残されており、お皿に盛ったお漬物には、そもそも箸(スプーン)をつけることすらされずに手つかずのまま残されていました。

「美味しい」という主観的な感覚は、実は「食べ慣れている」という生活習慣や文化と、極めて近い距離にあるのかもしれません。

どれだけ私たちが技術を尽くして極上の味を表現したところで、これまでの人生で一度も口にしたことのない未知のテクスチャーや発酵の香りに対して、本能的な警戒心を抱いてしまうのは、人間として極めて自然な反応です。

これは、日々の活動であるキノコの販売プロセスでも全く同じことが言えます。 手売りでキノコを売っているとき、稀に「初めて食べたけれど、あまり気に入らなかった」という声をいただくことがあります。 これから販路を広げるために、美味しいキノコレシピの提案を検討していますが、単に日本で好まれる調理法をそのまま押し付けるのではなく、ウガリやスクマウィキといった彼らの「いつもの主食」とどうシームレスに掛け合わせるか。この、彼らの習慣に寄り添った「ケニアカスタマイズ」こそが、これからの普及の鍵を握るのだと確信しました。

何はともあれ、ケニアの皆さんは本当にウェルカムな雰囲気で私たちを迎え入れてくれ、お互いの国の良さを語り合う、とても温かくて素晴らしい時間を過ごすことができました。

丸ごと鳥。

「ないなら、あるもので作る」という生活の満ち足りた感覚

午後、会場を後にして、久しぶりにカカメガのタウンで軽く買い物を済ませてから帰路につくことにしました。

タウンの大きな市場やスーパーを歩いていると、何でも揃っていて、たくさんのモノが溢れています。たまにこうして都会の賑やかさに触れるのは、新鮮な刺激があってとても面白いものです。

しかし、そうやってモノに囲まれた空間を歩きながら、私は自分の心の変化に気づいていました。

「今はマトゥングの『ないなら作る、あるもので何とかする』という不便な生活が、心地よく感じられるな」

インフラが止まり、欲しい資材が手に入らないマトゥングの日常。だからこそ、バナナの葉で小屋の温度を下げ、枯れ草を敷いて土を守り、工夫を凝らして自分たちの手を動かす。 その「足りない余白を、自分の頭と身体で満たしていくプロセス」にこそ、現代の消費社会では得られない、極めて深い充足感が宿っているように思います。
自分の中に、確かな「足るを知る」感覚が育まれている。

もちろん、たまにストレスが限界まで溜まると、脳が悲鳴を上げて無性に甘い食べ物やジャンキーな飲み物が欲しくなる瞬間もありますが、それも含めて、今の私の生き方はとても健康的で満たされています。

帰りのマタツ(乗合バス)の中では、心地よい疲労感に包まれながら爆睡。
気がついたときには、乗り換え地点であるムミアスのターミナルに到着していました。

ムミアスでは、「マトゥングボーイ」という愛称で多くのドライバーや客引きの人々に認識されています。マタツを降りた瞬間、周囲の顔馴染みの人たちが、 「マトゥングボーイ、こっちだぞ!お前のバスはあそこだ!」 と、次々に親切に案内してくれました。 このお節介で温かいローカルコミュニティの温度感に感謝した帰路でした。

住所なきデリバリーサバイバルと、我が家に灯った光

マトゥングの我が家に到着した瞬間、昨日ナイロビから発送されたはずのポータブル電源が、早くも手元に届いていました。

しかし、その受取のプロセスは、まさにスリル満点のデリバリーサバイバルでした。

ここマトゥングの住宅には、日本のような明確な住所(番地)が存在しません。 そのため、配達ドライバーから何度もスマートフォンに直電がかかってきます。しかも、相手の言葉はマシンガンのように繰り出されるオール・スワヒリ語。

一瞬、強い焦りが頭をよぎりましたが、ここで慌てて心を閉ざしては荷物を受け取れません。 相手が発する単語の中から「どこ(ランドマーク)」「時間」「動詞」といった重要なキーワードだけを集中して聞き取り、パズルのように意味を組み立てていきました。

「〇〇の場所まで、荷物を持ってきてほしい」

こちらの意思を、知っている限りのスワヒリ語のボキャブラリーを総動員して、必死に伝えました。 お互いの現在地を電話越しに摺り合わせ、なんとか奇跡的に、直接ドライバーと対面して無事に蓄電器を受け取ることに成功しました。住所のない世界でのこのやり取りは本当にタフな経験でしたが、何とかやり切れたことで、自身の語学力と適応力への確かな自信がまた一つ積み上がりました。

そして、帰宅。
ドアを開けると、案の定、我が家はまたしても完全な停電に見舞われていました。

暗闇に包まれた部屋。
しかし、今日私の手元には、届いたばかりのポータブル電源があります。

さっそく、充電を済ませてあった電源のスイッチをオンにすると、真っ暗だった部屋の中に、温かい電子機器の明かりがパッと灯りました。これほど心強く、素晴らしいタイミングでの配達は他にありません。

異国の味への挑戦、マトゥングでの満ち足りた日常、そしてスワヒリ語で勝ち取った文明の光。

今夜はこの頼もしい蓄電器が灯してくれる明かりの傍らで、今日感じた食の習慣についてノートに整理しながら、静かに休もうと思います。