AIがもたらした効率と、その先に見える「既視感」の壁
朝から、新しく収穫するキノコの販売用ラベルやパートナー農家さんのロゴデザインを作成し、並行して小説の執筆に時間を費やしました。
今の時代、AIを使えば、デザインの素人である私でもそれなりのロゴを一瞬で作成することができます。さらに、執筆中の小説に対しても、まるで編集者が横についてくれているかのように、瞬時に添削やアドバイスをもらうことができる。テクノロジーの進化がもたらしてくれたこの効率性には、ただただ驚かされるばかりです。
しかし、それらのツールを使い込み、手を動かせば動かすほど、胸の中には本物のプロの圧倒的な凄さに対するリスペクトが、これまでになく強固に立ち上がってきます。
AIがパッと出力してくれたデザインは、一見すると綺麗に整っています。ただ、既視感のようなものが拭えない。 そして、AIに編集してもらった文章は、日本語としては確かに正しい。しかし、シンプルに面白くない。
点と線が交差する、表現者たちの圧倒的な凄み
特に、毎日少しずつ時間を確保して向き合っている、初めての小説の執筆において、その壁の高さに何度も立ち尽くしています。
書けば書くほど、自分の書いているものに全く納得がいかない。 読者に伝えたいメッセージ性を全面に押し出そうとすると、まるで説教くさいビジネス書や自己啓発本のような無機質な文章になってしまう。かといって、小説らしい情緒を表現しようと描写や装飾を増やしてみると、今度は文章全体がまどろっこしく、うざくなってしまう。
物語として一本の美しい線を面白く描くこと。
そして、登場人物の感情の機微という、細部(点)を美しく、あるいは面白く描き出すこと。
小説という表現は、この「線」と「点」が、お互いに複雑に影響し合い、総合されることによって初めて、一つの豊かな「面白さ」という果実を結びます。 自分で実際に手を動かして言葉を紡ごうと試みたからこそ、村上春樹や太宰治、芥川龍之介といった、歴史に名を残す小説家たちの筆が持つ、あの圧倒的な凄みが、身に染みるように理解できるようになりました。
これまでの人生で、数え切れないほどの映画、小説、漫画をインプットし、一丁前に目が肥えてしまっているからこそ、自分の生み出すアウトプットの拙さに納得がいかなすぎて、本当に頭を抱えてしまいます。 でも、そのプロの果てしない凄みや、自分との距離の遠さを身を以て知ることができたこと自体が、何より大きな収穫であるとも思います。
納得がいかないので、一度すべてをゼロにして、もう一度最初から書き直そうと考えています。いつ完成するかは自分でもわかりませんが、どんなにつまらないものになってしまったとしても、まずはこの手で最後まで書き切ってみる。その地道な粘り強さだけは、手放さずに書き続けてみます。

自分が本気で走ったからこそわかる、ピッチの上の「プロの解像度」
この「自分でやってみたからこそ、プロの凄さが初めて解像度高く理解できる」という感覚。 それは、私自身が人生の大部分を懸けて本気で取り組んできた、サッカーのピッチにおいても、全く同じことが言えます。
かつて、プロサッカー選手になるという夢を本気で追いかけ、毎日ピッチの上で努力を重ね、戦術や身体の使い方を突き詰めようとしていたからこそ。 連日画面の向こう、ワールドカップの舞台でプロが見せる、何気ないパススピードやトラップの質さが、単なる上手いを超えて、鳥肌が立つほどにリアルな質量を持って理解できます。
例えばメッシ。あれはまさにAIには論理的な説明も代替も不可能な、人間の五感と閃きが生み出した、極上のアートそのものです。
コンマ数秒、数センチの狂いも許されないパススピードのコントロール。それを、まるで息をするように自然にやってのける。 そこを本気で目指し、その壁に跳ね返された経験があるからこそ、その圧倒的なプロの技術の高さに対して、深いリスペクトを捧げることができます。
チームの心臓を推す、25歳を目前にした変化
ワールドカップによる不規則な睡眠サイクルも、今朝の試合をもって一旦、一区切りがつきました。 来週に控える準決勝と決勝の3試合は、幸いなことにすべてケニア時間の22時キックオフ。ようやく、少し健康的で人間らしい生活サイクルを取り戻せそうです。
大会はいよいよ終盤戦。ベスト4には、世界ランク1位から4位までの順当な強豪国が綺麗に揃いました。正直、どこがトロフィーを掲げてもおかしくない、歴史的な激戦になることは間違いありません。 マドリディスタはイングランドやフランスを、クレはスペインとアルゼンチンを応援する傾向があると言われますが、私はもちろん、スペインとアルゼンチンを応援します。
サッカーの好みを振り返ってみると、最近、自分の中で確かな変化が起きていることに気づきます。
かつては、ゴールを量産してスポットライトを浴びるきらびやかな前線の選手ばかりを追いかけていました。しかし、今の私が思わず惹かれ、推してしまうのは、パレデスやロドリといった選手たちです。
ピッチのすべてを冷徹に見渡し、状況をコントロールし、攻撃の基礎となる縦パスを淡々と配り続ける、チームの「心臓」としての役割。 派手な一等星として輝くのではなく、全体を支え、ゲームのテンポをコントロールしてチームを勝たせる存在。
もうすぐ25歳を迎えるいま、自分のサッカーの好みの変化が、そのままボランティアとしての活動、つまり「不要になる仕組みを作る」という裏方の美学に、シンクロしているような気がします。
これからのワールドカップ最終盤、彼らがピッチの上でどんなプロの極上の仕事を見せてくれるのか、今から楽しみです。