1週間ぶりの水と、当たり前の家事への意欲
月曜日、新しい1週間の始まりです。
今朝、蛇口をひねると勢いよく水が流れ出てきました。 ついに、ついに水が出た。実に1週間ぶりの復旧です。
やはり、生活の中に水があるというのは本当に便利で、ありがたいことです。 溜まっていた食器を何のストレスもなく一瞬で洗える。トイレを工夫しながら流す必要もない。そして何より、水があるというだけで、自分で料理をしようというモチベーションがふつふつと湧いてきます。インフラの安定は、人間が心豊かに生活を営むための絶対的な前提条件なのだと、改めて深く実感しました。
そんな快適な朝を終え、今日も今日とてキノコの収穫、および販売へと向かいました。

4〜5倍の「拒絶」に削られる熱量と、営業活動のシビアな現実
しかし、営業の現場は、今日も甘いものではありませんでした。
来週買うと約束してくれていた顧客のところを訪ねても会えず、先週買ってくれた人に感想を聞きにいくと「私は好きなんだけど、子どもがキノコを気に入らなくて、そんなに量は必要ないかな」と断られてしまう。
営業活動をした3日間で、合計30パック近くを手売りで完売させてきましたが、その数字の裏には、4〜5倍近くの「お断り」が存在しています。
新規の人に声をかけても、「見せて。で、いくらなの?」と訊かれ、価格を答えると「高すぎるだろ」と小馬鹿にしたような反応をされることが多々あります。「俺は食べ物しか食わない(キノコは食べ物ではない)」と言われた時は、さすがにブチギレそうになりました。最初から買う見込みがなさそうな人に対しては、私自身も適当に受け流しながら会話をしていますが、さすがに馬鹿にされると、イライラは募ります。
ただ、ほとんどの場合は、決して感じ悪くありません。むしろとても丁寧に、「とてもいいプロジェクトだね」「今はお金がないから、また次の機会にね」と体よく断られます。
なんだか、そっちの方が悔しい。次の機会がないことはよく分かっているので。
適当な返事も、丁寧な断りも。その地道な繰り返しは、一つ一つは気づかないほど小さなものでも、少しずつ、精神的な疲労やストレスを私の心に澱(おり)のように溜めていきます。身体も心も、かなり疲れます。
「自分には、営業の能力なんてないのかもしれない」
そんな下向きな思考が頭をもたげそうになる瞬間もあります。
「ところで平凡な俺よ、下を向いている暇はあるのか」
そんな風に心が折れそうになったとき、頭の中に、『ハイキュー!!』の田中龍之介先輩の、ある言葉が強烈にリフレインしてきました。
「ところで平凡な俺よ。下を向いている暇はあるのか」
「できるまでやればできる」
下を向いている暇なんて、今の私には1秒もありません。 できるかできないか、能力があるかないか、そんな抽象的なことはどうでもいい。 売れるまで、売る。ただ、それだけです。
技術や質で一発でスマートに決められないのであれば、圧倒的な「量」で泥を這ってでもカバーする。 効率的、スマート、洗練といった綺麗事を掲げて、結果的に何も数字を出せない格好悪い人間にだけはならない。非効率であっても、どんなに無骨であっても、最後に結果を出す人間でありたい。
最近、ケニアでの過酷な市場開拓を続けるなかで、私の思考はだいぶ「脳筋」の領域へとシフトしてきているような気がします。 ただ、この誰も助けてくれない途上国の僻地で、一人の若いボランティアが自分の手でビジネスを切り拓いていくためには、これくらい荒々しく、頑丈なマインドセットこそが最も強力な武器になるはずです。
「できるまで、やればできる」
その覚悟を胸に抱き直し、近くの行政事務所へと向かいました。各担当オフィスの、全ての部屋のドアを順番に叩き、中にいるオフィサー一人ひとりに、プロジェクトの目的と、キノコの価値について一生懸命に、熱意を込めて語りかけ、売り込みを続けました。
その愚直な行動の結果、今日も無事に、自分用の消費という少しの甘えも交えつつ、準備した13パックをすべて完売させることができました。
時給換算すれば、東京のアルバイトに遠く及ばない、ちっぽけな売上です。 ただ、自分の足を動かし、心をすり減らしながら、できるまでやりきって掴み取ったこの完売の重みは、私の両手に何にも代えがたい温かい手触りを残してくれています。
明日からも、冷ややかなお断りに怯むことなく。 平凡な自分を誇りながら、できるまで、ただ目の前の一パックを届けるために、明日もまたマトゥングの街へ一歩ずつ、愚直に足を動かしていきます。
