【ケニア派遣212日目】キノコを両手に、1時間で完売。雇われ労働から脱し「価値を創り出して売る」生の手触り

ケニア派遣212日目。断水と停電が続くなか、新鮮な生乳をココアにして味わい、ノートに手書きで感情を紡ぐ豊かな朝。本日はいよいよキノコの本格収穫!注文分を取り分けた残りを両手に抱え、街頭でのゲリラB2C営業へ挑みます。1時間で完売させた興奮と、ゼロから価値を創り出すことのシビアで心地よい手触り感を綴ります。

期待を手放した朝と、混じり気のない一杯のココア

もちろん、今朝も電気と水は復旧していませんでした。

かつてなら「そろそろ直ったかな」と淡い期待を抱いて、無意識のうちに部屋のスイッチに手を伸ばしていたはずです。ただ、不通が4日も続くと、もはや期待すること自体を綺麗に手放してしまっている自分に気づきます。スイッチを確かめようとすらしない。この、不便さに対する諦めと適応の早さは、我ながらすっかりケニア仕様だなと苦笑してしまいます。

朝、部屋にいても特にやることがないので、気分転換に外へ散歩に出かけました。

歩きながら、以前からずっと買う機会をうかがっていた、地元の新鮮な「搾りたて牛乳」を売るお店に立ち寄りました。 小さなプラスチックの容器を差し出すと、並々と注いでくれます。1カップおよそ150〜200mlほどで、価格は25シリング(約30円)。

我が家に持ち帰り、ガスコンロの火にかけ、しっかりと沸騰させてからココアパウダーを混ぜて口に運びました。

一口飲んだ瞬間、驚くほどの濃厚さとまろやかさが口いっぱいに広がりました。 売り手のおじさんが「他の売り手は、みんな水を混ぜて薄めて売っているけれど、うちの牛乳は100%混じり気なしのピュアな本物だよ」と自慢げに話していましたが、その言葉に一切の嘘がないことを、私の舌がダイレクトに証明してくれていました。 混じり気のない、本物の食べ物が持つ力強さは、いつでも身体と心を深く満たしてくれます。

ノートにペンを走らせる、思いがのっかる豊かな時間

デバイスの充電がすべて切れていてブログをデジタルで書くことができないため、今朝は真っ白なノートを開き、手書きで日記を書き留めることにしました。

スマートフォンのフリック入力や、PCでのタイピングに比べれば、ペンを握って文字を紡ぐ作業は、比較にならないほど時間がかかります。 キーボードなら1分で打ち込める文章を、自分の右手を動かしてインクを紙に染み込ませていく。ショートカットキーで簡単に編集できる作業を、地道に消しゴムで消してはまた書き直す。

効率性という観点から見れば、これは途方もなく無駄な作業に見えるかもしれません。 ただ、ゆっくりとペン先を滑らせているその時間には、タイピングでは滑り落ちて消えていってしまう、その瞬間の肉体の疲労感や、ざらざらとした生の思考、熱い感情が、不思議なほどしっかりと文字の上にのっかっていくような気がしました。

手書きで日記を書き終えたあと、家の前の廊下に出て、明るい日差しを浴びながら歯を磨きました。

今が一体、何時何分なのかは時計がないので正確にはわかりません。 それでも、雲の隙間から差し込む太陽の角度や、外を歩く人々の声の多さ、ざわめき具合から、なんとなく「ああ、そろそろ出発の時間だな」と時間を推測して、部屋を後にしました。 電気やインターネットという強烈な視覚情報がなくなったことで、五感は自然の小さな変化に対して明らかに敏感に、鋭く研ぎ澄まされてきているのを感じます。

キノコを抱えて街を歩く、光速のB2Cストリート営業

今日の仕事は、キノコの収穫、および販売です。

収穫したての新鮮なキノコをパックに詰め、すでに事前注文をいただいていた大切なお客様用の分を丁寧に取り分けます。 そして、手元に残ったフリーの販売用キノコ。これをどうやって捌くか。

私は、あえて両手に剥き出しのキノコパックをこれでもかと抱え込み、ムミアスの街頭へと繰り出すストリート営業のゲリラ戦を仕掛けることにしました。

これが、想像を超える光速の展開を見せました。

「それは何?」「売っているのか?」「いくらなんだ?」

両手にキノコを抱えて歩くムズング(外国人)のインパクトはやはり凄まじく、歩き始めてすぐに、道行く人たちから次々に声をかけられます。調理法を説明し、世間話を交わしながらコミュニケーションを取っていくと、ものの1時間ほどで3人の顧客に対して、一瞬にして準備した分のパックを完売させることができたのです。

購入してくれた方々は、最初に1パック手に取ってくれた後、20〜30分後にわざわざ戻ってきて追加で購入してくれ、最後には「売れ残っている最後の1パックも、全部もらうよ」と、その場で買い占めてくれました。スワヒリ語で一生懸命に会話をしたおかげで、プロダクトだけでなく「私」という人間を気に入ってくれたのかもしれません。

「人」で売る。 属のであると言えばシステム構築の観点からはネガティブにも聞こえますが、AIが台頭するこの時代に、自分にしかできない泥臭い人間的な価値を発揮して価値を届けるというのは、大きな意味があるように感じます。

15分差のWランチ:一夫多妻カルチャーの温かすぎる洗礼

お昼ご飯は、ムミアスで仲良くなった農家さんのもとでいただくことになりました。

ほぼ放棄された状態ではありましたが、彼の持っている土地は広く、本人は「今後、ちゃんと農業に力を入れていきたい」と熱っぽく語ってくれました。私の活動の対象管轄からは少し外れるエリアではありますが、彼のようにポテンシャルのある人と、これから何かしらの形で関われたら面白いなと思います。

さて、そんな彼のお家に招かれ、一軒目の食卓で「ウガリとホルモン、スクマウィキ(ケニア伝統の葉物野菜)」を振る舞っていただきました。 とても美味しく食べ進めていたのですが、ふと見ると、一緒にいたはずのその農家さんは、なぜかお皿にほとんど手をつけず、私が食べるのをただじっと見守っています。

(どうして食べないんだろう?)

不思議に思いながらも完食した、わずか15分後。その謎が一瞬にして氷解しました。

「トム。もうひとつの私の家に行こう」

彼に連れられて目と鼻の先にある別の家に入ると、そこには、もう一人の奥さんが待っており、テーブルの上には「山盛りのウガリ、スクマウィキ、そして鶏肉」がデデンと並べられていました。

彼は一夫多妻制の中で生きており、それぞれの家で客人を歓迎するために、気合を入れてフルサイズのお昼ご飯を準備して待ってくれていました。 一軒目で彼が一切食事を口にしなかったのは、この二軒目の大仕事を予見していたからに他なりません。

一軒目のホルモンウガリを綺麗に胃袋に収めた直後に襲いかかる、チキンと大量のウガリの猛襲。 もはや胃袋のキャパシティとしては拷問に近い状態でした。(普段はこっちの家で昼ごはんを食べて、一軒目の方で夜ご飯を食べる、というルーティンでバランスをとっているそうです。)

まるで、居酒屋を2軒ハシゴした締めに、特盛り焼肉を強制的に流し込まれているかのような、圧倒的な満腹感。

しかし、不意に直面した一夫多妻カルチャーの驚きとともに、私の胃袋を限界まで引き裂いたその重すぎるおもてなしの裏には、彼ら家族の底抜けの親切さと歓迎の心が詰まっていました。 お腹は文字通り100%はち切れそうでしたが、それ以上に、彼らの温かさで胸がいっぱいになった、特別なお昼時でした。

1,500円の生きた価値と、初めて知ったお金の温度

本日、収穫したマッシュルーム約15パックは全て売り切ることができました。
事務所に戻った後、その大きな喜びを事務所のオフィサーの人とも共有しました。

しかし、帰り道、ふと我に返ると、今日1日かけて必死に売った金額は全部で約1,500Ksh(約1,700円)。 東京であれば、アルバイトであっても1時間程度で簡単に稼げてしまう、決して大きくはない金額です。 もちろん、今後のリピート(LTV)を見据えた新規の有効リード獲得という、金額以外の重要なKPIがあるので、そこだけを見ているわけではありませんが、それでも「時給」というものさしで測ってしまえば、あまりにも非効率な労働に見えるかもしれません。

しかし、自分で土を耕して一から作物を育て上げ、自ら歩いて未知の市場を切り拓き、自分の言葉で価値を伝えてお金に変えていく。このサプライチェーンの端から端までを、すべて自分の手でやり切るという生々しい体験には、時給労働では絶対に得られない、圧倒的な生きた学びが詰まっていました。

これまでの人生における私の「働く」という経験は、どこかの組織や企業に雇われ、自分の「時間」を切り売りする対価として、あらかじめ決まった給与をもらうことばかりでした。 しかし、電気も水もないケニアの僻地で、何もない泥の部屋から新しい「価値」をゼロから創り出し、自分の手で直接、一人ひとりの顧客に手渡して現金を稼ぐ。

この手の中に残った15パックの売り上げを前にして、私は生まれて初めて、”お金の温度”を感じられたような気がします。ただの記号ではない、生きた労働と感謝が乗っかった、本当のお金の価値を学べたように思います。

今夜も我が家は暗闇に包まれていますが、胸の奥には、完売させたキノコの重みと、いただいたココアの温かさが、消えない灯火のように静かに輝いています。

また明日からも、この生きていく手触り感を両手にしっかりと残しながら。
私にしか生み出せない価値の種を耕し続けていきます。