炎天下のいちご畑と、トウモロコシを剥く子どもたちの「豊かな不効率」
今日は、パートナーであるいちご農家さんの畑に向かい、丸一日作業のお手伝いに汗を流しました。
やるべきタスクは、まさに盛りだくさん。 生い茂った雑草を丁寧に取り除き、株の体力を奪う余計なランナーをハサミで切り落とし、古い下葉を一枚ずつかいていく。さらに、土壌の乾燥を防ぐための枯れ草マルチを敷き詰め、育苗ポットを適切な場所へと移動させるなど、中腰での地道な重労働が続きました。 容赦なく照りつける炎天下での作業だったため、流石に終わる頃には強烈な疲労感が身体を支配していましたが、とても気持ちのいい汗をかくことができました。
これだけの作業を、今日は基本的に私一人で黙々と進めていました。 というのも、パートナーの農家さんは今、自分たちの主食であるメイズ(トウモロコシ)の収穫作業の最盛期を迎えており、そちらの手がどうしても離せなかったからです。
けれど、一人の畑仕事も決して寂しいものではありませんでした。 お昼休憩の時にいただいた、ケニアの伝統的な家庭料理「ギゼリ」(豆とメイズをじっくり煮込んだもの)は、乾いた身体にじんわりと染み渡り、本当に美味しかった。料理の腕前が素晴らしいというのもありますが、汗をかいた身体に素朴な穀物の甘みが格別に響きました。初めてギゼリが美味しいと感じました。
ふと農家の庭先に目を向けると、近所の子どもたちがたくさん集まって楽しそうな声を響かせていました。 彼らは音楽を大音量で流しながら、皆でワイワイと賑やかに、収穫されたばかりのメイズの芯から一粒ずつ手作業で粒を外し、乾燥させる作業を行っていました。
そして帰り際には、お手伝いのご褒美として農家のオーナーさんからお駄賃をもらって嬉しそうに笑っていました。
日本であれば、こうした脱粒や乾燥の作業は基本的にすべて、大型の機械であっという間に行うことでしょう。 現地の子どもたちによる手作業は、経済的な「効率性」や「生産性」というものさしで測れば、非効率極まりない人海戦術(労働集約)に見えるかもしれません。
しかし、こうして地域の人々や子どもたちが自然と集まり、音楽を流してコミュニケーションを取りながら、一つの作業を共有して笑顔で時間を過ごす。この一見「無駄」とも言える不効率なプロセスのなかにこそ、私たちが便利さと引き換えに失ってしまった、コミュニティ本来の「温かい豊かな時間」が確かに存在しているように見えました。効率化だけが正義ではないのだと、彼らの弾けるような笑顔に教えられた気がします。

途上国の厳しいインフラと、農家さんの温かい優しさ
畑仕事を終えて帰宅する頃、私の身体にはじわじわといつもの鈍い腹痛が戻ってきていました。
だましだまし動いてはいるものの、このジリジリとした不快感はやはり厄介です。
追い打ちをかけるように、我が家の電気は昨日から復旧する気配が一切なく、室内は完全な暗闇。
Wi-Fiも使えず、楽しみにしていたサッカーワールドカップの試合を観るためのスマートフォンのバッテリーも、すでに「0%」の限界を迎えていました。
しかし、そんな窮地を救ってくれたのは、先ほどまで一緒にいた農家さんの温かい心遣いでした。
「うちで充電していきなさい」と、貴重な電気を分けてくれました。
彼らの優しさのおかげで、スマートフォンに命が吹き込まれ、夜には真っ暗な我が家のベッドの中で、無事にアルゼンチンの試合を観戦することができました。
アルゼンチン代表(神メッシ)がピッチの上で見せてくれた、劇的で美しい勝利の瞬間。
電気が消えて静まり返った私の部屋が、画面から漏れる青白い光と彼らの熱狂によって、ほんの少しだけ明るく照らされたような、そんな気がしました。インフラはどこまでも不便で不条理だけれど、人の温かさに生かされている実感が、冷えた暗闇をじんわりと温めてくれます。