圧倒的な身体能力への悔しさと、チャイの温かさ
今日も、昨日終わらせることができなかったいちご畑の作業の続きを行うため、パートナー農家さんの畑を訪れました。
今日取り組んだのは、新たな区画の縄張りと、高畝を立てていく作業。
もちろん、すべてが鍬一本を使った手作業です。 重い鍬を何度も振り下ろし、土を耕しては形を整え、高畝を成形していきます。
この作業には、農家さんの長男が一緒に加わってくれたのですが、彼と並んで鍬を握るなかで、私は強烈な敗北感と「悔しさ」を味わうことになりました。
私が必死に汗を流してようやく1本の畝を立て終わる頃、彼は涼しい顔で、すでに2本の美しい畝を立て終えていたのです。しかも、仕上がりをみると、圧倒的に彼が作った畝の方が美しく、真っ直ぐで均一。さらに恐ろしいことに、彼はこれだけの重労働をこなした後だというのに、ほとんど疲れている様子すらありませんでした。
(まだまだ、自分の修行が足りないな……)
彼の無駄のない滑らかな身体の動きをじっと観察し、なんとかそのフォームをトレースしようと試みますが、一朝一夕で追いつけるようなものではありません。何世代にもわたってこの土地を耕し、自然と共生してきた彼らの肉体と技術のポテンシャルには、ただただ深いリスペクトを抱くばかりです。
日本にいた頃であれば、このくらいの広さのプロットなら、機械を使って一瞬で終わらせていたはずです。痛む腰を伸ばしながら、改めて日本のテクノロジーと「文明の力」のありがたさを身にしみて実感しました。
作業の後、農家さんから手作りの出来立てのチャパティと、甘いチャイをいただきました。 泥だらけの身体に、その温かさと素朴な小麦の旨味が限界まで染み渡り、言葉にならないほどの美味しさでした。
差別的な言葉と、大人としての「境界線」
本日水曜日は、マトゥングのマーケットデイ(市場が開かれる日)。
街はいつも以上の熱気とたくさんの人々でごった返していました。
人が増え、賑やかになるのは良いことですが、すれ違いざま、不意に通りすがりの現地人から「チンチョン」とアジア人を蔑視する言葉を投げかけられました。 ここ最近は地域に馴染んできたこともあって、こうした不躾な言葉を直接浴びせられることはほとんどありませんでした。だからこそ、久しぶりに耳にしたその無遠慮な言葉に、胸の奥から不穏な怒りがメラメラと湧き上がってくるのを止められませんでした。
(一発、殴りかかってケンカでもしてやろうか)
一瞬、そんな衝動が頭をよぎりました。
しかし、拳をグッと握りしめながら、深く息を吸い込んで踏みとどまりました。
あんなに教養もデリカシーもない人間のために、貴重なエネルギーと時間を割いて、トラブルを起こすなんて不条理極まりない。そんな奴の相手をして時間を無駄にするくらいなら、怒りをぐっとこらえてスルーする方が、圧倒的に合理的で価値のある選択です。
自分のなかの感情をコントロールし、相手との間に境界線を引く。 少し嫌な後味は残りますが…
1秒もスクリーンを見ない、極上の「デジタルデトックス」
帰宅。 残念ながら、我が家の電気も水も、依然として完全に息絶えたままでした。
これで断水と停電のダブルパンチは、ついに「4日連続」となります。
大家さんに事情を尋ねてみると、どうやら近くの主要なインフラ設備か道路が損壊した影響で、エリア全体の送電がストップしてしまっているとのこと。 ケニアの国営電力会社「Kenya Power」が、どこかから交換用の部品を調達してきて本格的な修理を完了するまでは、復旧の目処はまったく立たないらしく、いつ直るかはわからないと苦笑いされてしまいました。
この過酷なインフラの洗礼により、今月に入ってからデジタルデバイスのバッテリーはついに完全終了、全滅しました。
今日1日は、朝起きてから夜眠るまで、スマートフォンの画面を「1秒も」見ることのない1日でした。
朝、自分が何時に目を覚ましたのかすら正確には分かりません。周囲の鶏たちが一斉に鳴き出す声と、窓の隙間から差し込むかすかな朝の光を感じて、自然と目を覚ます。 時間が分からない不便さはありますが、誰からの連絡通知に追われることもなく、世界中の暗いニュースに心を掻き乱されることもない。
情報が遮断された世界は、不便だけれど、どこかあらゆるノイズから「解放された」かのような、穏やかな心地よさに満ちていました。
1秒が、1時間の広さが、いつもよりずっと広く感じられる。
電気がなくて暇な時間。しかし、明るい太陽の光がある間は、ノートを広げて小説のプロットを熱心に執筆したり、スワヒリ語のテキストを丁寧におさらいしたり、身体をほぐすために静かにヨガをしてみたり。
何かを生み出し、自分の内側を豊かに耕すために、これ以上ないほどに集中して時間を使えた、素晴らしい一日でした。
大家さんの優しさと、水が繋ぐ命の温かさ
日が完全に沈み、あたりが深い静寂と暗闇に包まれた夜のこと。
部屋のドアを叩く音がして、外に出ると、そこには両手いっぱいに重い水タンクを抱えた大家さんの姿がありました。 大家さんは、水が入ったタンクを、私のために4つも運んできてくれたのです。
冷たいプラスチックのタンクを私の足元にそっと置きながら、大家さんは穏やかに私を見つめて言いました。
「水がないと、人間は生きられないからね。」
電気が消えて、水すらも止まり、異国の田舎で一人で不条理に耐えていた私の胸の奥に、その言葉がじんと、熱い塊になって響き渡りました。
蛇口から水が出ない不便さは、確かに大きなストレスです。でも、その不便さがあったからこそ、大家さんのこの底抜けに温かい人の優しさに直接出会い、心の底から救われる瞬間を味わうことができた。
水タンクの重みを両手に感じながら、今ここにある小さな、しかしこの上なく温かい幸せに深く感謝して、今夜もベッドに入りました。
明日からも、目の前にある小さな奇跡を大切に数えながら、頑張ります。