独立記念日の前夜に、世界へ爪痕を残したカーボベルデの奇跡
今日から始まる2日間の休日。
ここ最近、お腹の奥の方でジリジリとした鈍い痛みが続いていることもあり、この土日は外に出ず、引きこもることにしました。
そんな休日の始まりは、超早起き(というか夜更かし)のサッカー観戦から。
アルゼンチン代表と、アフリカの小さな島国カーボベルデ代表の一戦を観ました。
アルゼンチンを全力で応援している私としては、相手の粘り強い守備をなかなか崩しきれない展開に終始もやもやさせられましたが、それ以上に、カーボベルデというチームの素晴らしさにただただ感動させられました。
彼らにとって、明日7月5日は大切な「独立記念日」。 その記念日のまさに前夜である7月4日に、世界王者を相手にあれほどの死闘を演じ、全世界のサッカーファンに「カーボベルデ」という国の存在感と誇りをこれ以上ない形で知らしめたのです。 彼らの一歩も引かない姿勢は、国にとっても、ピッチに立った選手たち個人にとっても、今後の人生を劇的に変えてしまうほどの価値ある一日、そしてワールドカップになったに違いありません。
たったの2週間で、知名度も、人生の選択肢も、国としての誇りもすべてがガラリと書き換わってしまう。
ワールドカップという祭典が持つ、言葉にできないほど巨大なダイナミズムを、画面のこちら側で改めて肌で感じた夜でした。
鈍い痛みと、真っ白なノートに描き出す「最初の物語」
昼間は、ずっとやりたかったけれど日々の活動の忙しさに流されて手につかなかった、机の上の作業に没頭しました。
久しぶりに、溜まっていたプロジェクトの資料を作成して整理する。
そして、今年の目標に掲げていながら手つかずだった「小説の執筆」に向けて、初めてのプロット制作をスタートさせました。
これまでノートに少しずつ書き溜めては死蔵していたアイデアや言葉の断片を、1本のロジックとして綺麗に整理していく。手作業でペンを走らせ、それらを組み立てていると、普段の活動で頭を使うのとは全く違う脳の領域が、心地よく熱を帯びていくのが分かりました。
当然、初めての試みなので、いきなり壮大な長編小説に挑むのは無謀というもの。
まずは、小さく「短編小説」という形で自分の力を試してみようと思います。
お腹の地味な痛みに耐えながら、でも、土日の不便な停電も、会う人が周りに誰もいない静寂も、すべてを自分の創作のための贅沢なスパイスとして受け入れる。
遅くとも今年中には、この手の中から最初の物語を1本完成させてみせようと思います。

『ロングバケーション』が教えてくれた、不便だからこそ美しい距離感
ただアウトプットを重ねるだけでは、表現の引き出しは枯渇してしまいます。
隙間時間を利用して、映画やアニメ、ドラマなどのインプットも並行して進めています。
最近では、日本の平成初期の名作ドラマ『ロングバケーション』を観ました。
今から30年も前の作品ですが、今観ても驚くほどにオシャレで、洗練されていて、登場人物たちの心の揺らぎや言葉選びは、現代を生きる私たちの胸にもスッと、違和感なく響いてきます。
しかし何より新鮮だったのは、彼らのコミュニケーションを取り巻く「インフラの不便さ」でした。
当然、あの時代には誰もがスマートフォンを持っているわけではありません。連絡手段は、お互いの家にある「固定電話」だけ。 だからこそ、待ち合わせに向かう途中で急なハプニングがあっても、途中で予定を変更することなんて絶対にできません。すれ違ってしまったら、ただ信じてその場所で待ち続けるしかない。 言葉が届かないからこそ生まれる、切ない誤解やすれ違いが、物語のあちこちに散りばめられていました。
けれど、私はその不自由で、すれ違いばかりの“距離感”に、言葉にできないほど惹かれてしまいました。
いつでも瞬時にメッセージが既読になり、今どこにいて誰と何をしているかが筒抜けになっている、現代の便利すぎるシステム。 それと引き換えに、私たちは、相手を想いながら「ただ待ち続ける時間」の愛おしさや、声を聴くためだけに受話器を握りしめるあのヒリヒリとした緊張感を、どこかに置き忘れてきてしまったのではないでしょうか。
すれ違うからこそ、重なった瞬間の温かさが何倍にも大きくなる。
それは、今まさに私がケニアのマトゥングという、約束が簡単に破られ、メッセージがなかなか繋がらない不便な地で、それでも人と人が泥にまみれて歩み寄ろうとする「ほど良い寛容さ」にも、どこか地続きで繋がっているような気がしてなりません。
手と脳みそを存分に使い果たし、心地よい疲労感に包まれた休日でした。