【ケニア派遣199日目】「主役は私ではない」という割り切り。いちご畑での葛藤と、変数・定数の見極め

ケニア派遣199日目。いちご農家の今後のスケジュールを話し合うなか、ATC(トレーニングセンター)関係者からの的外れなアドバイスに農家が流されてしまう葛藤に直面。「主役は自分ではない」と割り切り、コントロールできない変数と定数を見極めながら、次の一手へ切り替える心の変化を綴ります。

外部のアドバイスと、主役ではない私の「割り切り」

今日はいちご農家さんのもとへ足を運び、これからの具体的な栽培スケジュールについて話し合いを行いました。

その現場でのこと。久しぶりに農家さんを訪ねた事務所の同僚が、ATC(農業トレーニングセンター)の専門家に電話をかけ、スピーカー越しにアドバイスをもらう場面がありました。

「堆肥が少し不足しているね」といった的を射ている指摘もありましたが、全体的には、これまで私たちが農家さんと一緒に試行錯誤して積み上げてきた栽培方針を、真っ向から否定してくるような内容でした。

私たちは、いちごの品質を高めるために「苗の増殖フェーズ」と「フルーツの生産フェーズ」をしっかりと分ける戦略をとっていました。しかし、そのATCの人は「早くフルーツを作った方がいい」「太郎株(ランナーの最初にできる、病気リスクのある株)も使ってどんどん植えろ」と言います。
もちろん、そのやり方でも実を成らせることは不可能ではありません。けれど、農家さん自身が「クオリティの高いいちごを作って高く売りたい」と望んだため、私たちはこの方法を選び、議論を重ねてきました。 おそらくその専門家は、私たちがなぜこの方針をとってきたのか、その背景や文脈を何も知らずに、一般的なセオリーだけを投げかけているのだと感じました。

私なりの根拠と意見をしっかりと彼らに伝えました。 しかし、農家さんや事務所のオフィサーにとっては、外から来た私のアドバイスよりも、現地のケニア人の知人の言葉の方が、どうやら信頼に足るようでした。

正直、少しだけやる気を削がれてしまいました。

しかしこのもどかしさに対して、驚くほど早く、頭を切り替えることができていました。

「これは私の畑ではないし、このプロジェクトの主役は私ではない。」

コントロールできない他人の行動や判断は、私にとって変えられない「定数」です。一方で、私自身のアクションや提案の工夫は、自分でいくらでも動かせる「変数」です。 不条理な環境の中で、どこが定数で、どこが変数なのか。それを見極めた上で、自分にできることを淡々とやっていくしかない。 ケニアでの日々を通じて、そんな「諦めと切り替えの早さ」が、自分の中に少しずつ身についてきているのを感じます。

ネクストアクション自体はしっかりと決めることができたので、ここからまた、ブレずに伴走を続けていこうと思います。

ひび割れ…
これは良くない。早急な対応が必要です。

日給300シリングの現実と、労働の搾取という構造

帰り道、周りの畑を見渡すと、大勢の人々が汗を流してメイズ(トウモロコシ)の収穫作業に追われていました。任地・マトゥングはいま、ちょうどメイズの収穫の最盛期を迎えています。

通常は、家族や隣近所のコミュニティで手を取り合って作業を行うのが基本ですが、畑が広い農家などでは、日雇いの労働者を雇って一気に刈り取ることもあるのだそうです。

ふと気になって、その日雇い労働者の賃金について聞いてみました。
返ってきた答えは、日給およそ300シリング(現在のレートで約375円)。

絶句するほど、安すぎる。

この国にも一応、法律で定められた最低賃金の制度は存在しています。けれど、そんな公的なルールがこの地方の末端で守られることは、基本的にはあり得ないのだと同僚は話していました。 もちろん、雇う側の小規模農家自身にもお金がないため、それ以上の金額を支払いたくても支払えない、という現実的な限界はあるのでしょう。しかし、これほど過酷な肉体労働に対する対価がここまで不当に低いというのは、構造的な労働力の搾取であり、この地域の貧困から抜け出せない大きな問題だと感じます。

そうした現実の数字を突きつけられたとき、私たちが「いちご」や「きのこ」のプロジェクトでシミュレーションしている利益の重みが、改めて脳裏に迫ってきました。 週に20キログラムのキノコを売って得られる、月に約5万シリングという現金収入。 日給300シリングで泥にまみれて働く人々にとって、この数字が一体どれほど莫大で、人生を劇的に変えてしまうほどの破壊力を持った金額なのか。地域に投げかけるインパクトの大きさを、身が引き締まる思いで再認識させられました。

同僚曰く、ピーマンと唐辛子の中間くらいの感じらしい。
そこまで辛くない唐辛子です。

一ボランティアにできること、その境界線の引き方

労働賃金の基準を底上げすること。
機能していない最低賃金の制度を、しっかりと地方の末端まで機能させること。

そうしたマクロな構造改革ができれば、この国の貧困はもっと根本から解決へと向かうはずです。しかし、それは国家や政府がやるべき領域の仕事です。

課題は、歩けば歩くほど目の前にむき出しになって現れます。
でも、予算も持たず、決定権もない一ボランティアの私にできることなんて、この巨大な社会構造の前では微々たるものです。

だからこそ、国家の仕事に絶望して立ち止まるのではなく、自分の手の届く範囲に境界線を引く。 このマトゥングの地で、今、目の前にいる数人-数十人の農家さんたちととことん真摯に向き合い、彼らの生計を確実に向上させること。まずはそこだけに自分の全エネルギーを注ぎ込む。それしかできないし、それでいいのだと思います。

自分の無力さを受け入れつつも、明日からもまた、私のフィールドでできることを愚直に積み重ねていきます。

家庭菜園始めました。