【ケニア派遣182日目】着任半年の日に考える。支援依存という諸刃の剣と、泥臭い工夫から始まる「自立」の農業

ケニア派遣182日目、ついに着任半年の節目。実習生の母校でいちごプロジェクトを提案し、田舎の学校の教員たちの洗練さに驚かされます。さらに川で土砂を掘り出す男たちの過酷な労働を目の当たりにし、近隣の米農家が直面する「灌漑資金の壁」と、安易な「支援依存」への違和感を深く考察します。

田舎の学校への第一歩と、美しき教育者たち

今日で、ケニアに来てからちょうど半年が経ちました。 この半年の振り返りや自分の中での変化については、また少し頭が整理できた別の機会にじっくりと書こうと思います。

午前中は、いつも一緒に活動している実習生が、以前教育実習をしていたという地元の学校へ足を運びました。 「この学校の敷地で、いちご栽培を始めてみたい」 彼のそんな前向きな熱意に背中を押されて、プロジェクトの提案をしに行くためです。

学校に到着してみると、敷地には確かに使われていない広大な土地が余っていました。 面会した校長先生も非常に柔軟で、地域の農業普及活動に対しても前向き。私たちの提案したプロジェクトに、とても強い興味を示してくれました。 ただ、現時点で学校内に「農業クラブ」のような受け皿となるコミュニティがあるわけではないので、生徒たちをどう巻き込んで、どんないちごプロジェクトの名目でスタートさせるかは、これから作戦を練る必要がありそうです。それでも、子供たちが新しい農業に興味を持つきっかけを、彼らと一緒に作れたらなと思います。

それにしても、初めてまともにケニアの学校の敷地に入ったのですが、先生たちの佇まいに少し呆気に取られてしまいました。 先生方は皆、綺麗な身なりをしていて、流暢な英語を話している。こんな辺境の田舎であっても、教育に携わる人間はこれほどまでにしっかりしているのかと、失礼ながらギャップに圧倒されてしまいました。

会話のキャッチボールが驚くほどスムーズにできるだけでも、普段のフィールドワークと比べて格段に意思疎通が楽で、少しホッとした部分もあります。

もちろん、これから事務所への報告や調整、普通に家から学校までの物理的な距離の問題など、クリアすべき課題はたくさんありますが、まずは一歩、面白い種を蒔くことができた気がします。

川辺のチルな空気と、肉体を極めた過酷な労働

学校を後にし、サトウキビとメイズの鬱蒼とした畑をすり抜け、地元の人に教えてもらった「川」へと向かいました。

たどり着いたその場所は、木々の間を流れる水面が美しく、なんともチルい、穏やかな空気が漂う場所でした。

しかし、その穏やかな景色のなかで、驚くほど過酷な肉体労働が繰り広げられていました。 上半身裸の、見事な筋肉をしたマッチョな男たちが、川の濁流に足を踏み入れ、底から重い土(家などの建築資材となる砂や土)をシャベルで掘り出していました。 そしてその土を、高さ約2メートルはある川岸の上へと放り投げる。岸の上にいる男たちが、それをさらに待機しているトラックの荷台へと放り投げる。

川の中に2人、岸の上に2人、トラックに2人。計6人の男たちが、一分の無駄もない阿吽の呼吸で土の塊を空へと放り投げ続ける。川の流れは決して緩やかではなく、一歩間違えれば足元をすくわれるような環境です。その中での彼らの労働の激しさは、見ているこちらが息を呑むほど過酷なものでした。でも、そこには汗を流して金を稼ぐ、力強い労働者の誇りのようなものを感じました。

ふと川岸を見渡すと、簡易的な手作りのボートが5隻ほど繋がれていました。 話を聞くと、これは、地元の人たちの重要な「生活インフラ」なのだそう。

川の向こう岸にある隣町ムミアスまでは、直線距離にすればわずか2キロメートルほどしかありません。しかし、この付近には橋が1箇所しかかかっておらず、もし車やバイクを使って陸路で行こうとすれば、途方もなく大回りをして時間をかけて向かわなければならない。だからこそ、この辺りの人々は、この小さなボートを使って、川を渡ってショートカットしているのです。

簡易的なものでいいから、ここに一本、橋がかかったらどれだけ彼らの生活は楽になるだろうか…彼らの暮らしの境界線となっている川を見つめながら、インフラ整備の必要性を痛感していました。

米農家の渇きと、補助金という「諸刃の剣」

川の近くに、それなりの広さでお米を育てている農家さんがいると聞き、そちらも訪ねてみることにしました。

行ってみると、予想以上に本格的な規模で稲作が行われていました。畑の一角をデモ圃場に設定し、稲の品種や植える株と株の間の距離(株間)を変えながら、より良い収穫量を探るためのトライアルを行っていました。非常に勉強熱心で、やる気に満ちあふれた素晴らしい農家さんです。

しかし今、彼女の畑は絶体絶命のピンチに直面していました。 稲の穂が出てきて、今まさに最も多くの水と栄養を必要としている最重要のタイミング。それなのに、ここ数日マトゥングには全く雨が降っていません。照りつける太陽のせいで、土壌は目に見えて乾燥し始めていました。

すぐ目と鼻の先には、あの大容量の水を湛えた川が流れているというのに。 「水はすぐそこにあるのに、お金がないからポンプも買えず、灌漑システムを引けないんだ」 農家さんは、焦燥感を滲ませながらそう言いました。

彼に限った話ではなく、ケニアで活動していると、本当に多くの現地人から同じような言葉を聞かされます。

「お金を支援してくれないか」 「俺たちを援助してくれるNGOをどこか紹介してくれないか」

彼らの苦しい状況は、身に染みるほど分かります。けれど、その言葉を聞くたびに、私の心の中にはどうしても割り切れない違和感が生まれてしまいます。支援やお金を頼るその前に、自分たちの頭を使って、今あるリソースで工夫できることは、もっと他にあるはずではないか。例えば、雨季と乾季のサイクルを逆算して栽培のスケジュールを1ヶ月ずらすだけで、自然の雨を最大限に活かした出穂期を迎えられたかもしれない。

もちろん、信用力が低いために銀行からお金を借りて初期投資をすることが極めて難しい、という途上国の金融構造の欠陥があるのは事実です。でも、安易に与えられる補助金や海外からの支援金というのは、本当に「諸刃の剣」だと思います。

自らの頭で考え、工夫し、汗を流して課題を突破する前に、上から降ってくるお金(支援)に依存してしまったら、その時点で農家としての、ビジネスとしての「自立」は終わってしまう。彼らが本当の意味で持続可能な生活を送るためには、お金を与えることではなく、知恵と工夫の価値を一緒に伝えていかなければならないと思います。

酔っ払いのおじさんから得た、ルヤ族18の民族とクランの話

そんな真面目な考察を終えて帰ろうとした矢先、周囲に取り巻いていた、お酒くさい酔っ払いのおじさんに捕まってしまいました。 案の定、何が言いたいのかさっぱり分からない話を、かなりの長時間にわたって延々と聞かされる羽目になりました。

言葉の意味自体は英語やスワヒリ語で理解できるものの、あまりのしつこさと要領の得なさに、途中からは心の中でかなりイライラしながら、適当に聞き流してやり過ごしていました。

しかし、彼が千鳥足で熱っぽく語った「民族(トライブ)」の話の中に、ひとつだけ、イライラを忘れるほど知的好奇心を刺激される興味深いトピックがありました。

ここカカメガや隣のビヒガ一帯に暮らす人々は、大枠では「ルヤ族(Luhya)」という一つの巨大な民族に属しています。 しかし、そのルヤ族という大きなくくりの下には、さらに「18もの異なるサブトライブ(子民族)」が細かく存在しており、そして驚くべきことに、その18の民族それぞれの下に、さらに何個もの「クラン(氏族・同族集団)」が枝分かれして存在しているのだそうです。

この一帯は、かつて地域を統治していた「ワンガ王国」の系譜を継ぐ、ルヤ族の中の特定のサブトライブ。

「それぞれのグループで言語は異なっているから、自分たちから相手の言葉を能動的に話すことは難しい。けれど、ルヤ族同士の言葉であれば、相手が何を言っているかは基本的にはちゃんと理解できるんだ」 おじさんは、自慢気に語りました。

それを聞いたとき、方言を思い浮かべました。 標準語を話す人が、自分では完璧な関西弁を喋ることはできなくても、テレビや会話を通して言っている内容やニュアンスはほぼ100%理解できる。ルヤ族の間の言語の壁も、そんな「方言」のような親しいグラデーションで繋がっているのかもしれません。

同じルヤ語でも挨拶が変わる理由、その狭い言葉やクランの中に潜む、彼らだけの特別な連帯感。 昼間の酔っ払いのうわ言のようなおしゃべりの中にも、この地を理解するための大切な歴史と文化のピースが隠れていました。

着任からちょうど半年。 たくさんの可能性と、不条理な現実と、そして奥深いこの国の文化を、今日も深く噛み締めた1日でした。