【ケニア派遣180日目】主役になれなかった5等星のプライド。嵐のラストライブと『宇宙兄弟』から見つけた私の役割

ケニア派遣180日目。休日に遅ればせながら観た「We are ARASHI」のライブ映像から、自らの人生に溶け込んでいた嵐の記憶を辿ります。プロサッカー選手になれなかった挫折、太陽や一等星にはなれない自分。けれど『宇宙兄弟』の茄子田所長の言葉を胸に、5等星としての生き方とケニアでの役割を見出します。

鈍った手先と、画面の向こうの「嵐」

今日は休日。 朝から溜まった洗濯物を片付け、部屋の掃除。
手洗いの冷たい水の感覚も、すっかり私の日常の一部として馴染んできました。

日中は、久しぶりにPCに向かって色々と資料作りを進めました。 ただ、少し作業を進めるだけでも、自分の手がずいぶんと鈍っているのを感じます。最近は、思考の整理も文章の作成も、大半をAIに任せてしまっていたからかもしれません。

もちろん、もっと丁寧に緻密なプロンプトを与えれば、AIは一発で私の思い通りのアウトプットを出してくれるのかもしれない。けれど、実際に手を動かしてみると、細かな文言やニュアンスの微調整は、泥臭く自分の手でやった方が結局は早い部分もあるなと気づきます。人間とAI、お互いの得意なところを持ち寄って、協力しながらやるのが一番バランスが良いのでしょう。 それにしても、頭の中にあるイメージをビジュアルに落とし込む作業というのは、何度やっても本当に難しい。

頭を使い尽くした夕方、遅ればせながら「We are ARASHI」のライブ映像を観ました。1周目は画面の前に張り付いてしっかりと。2周目は、作業を進めるためのBGM代わりに裏で流しながら。

気がつけばもう40代に入っている彼ら。
それなのに、どうしてあんなにキラキラしていて、文句なしにかっこいいのだろう。

「よにのちゃんねる」を観れば、ニノはただのちょけている面白いおじさんにしか見えません。なのに、ひとたびステージの上に立つと、完璧なトップアイドルへと姿を変える。そして映画やドラマのスクリーンの中に入り込めば、凄まじい熱量を持った俳優になる。
あの強烈なオンとオフ。そこから放たれるオーラのようなものに、画面越しでも圧倒されてしまいます。

そして何より、「仲間」という関係性。
あれは、単なるビジネスパートナーでもなければ、かと言ってただの「友だち」でもない。他の誰の立ち入りも許さない、あの5人だけにしか作れない独特な空気感。
心の底から、本当に素敵だなと思います。

人生の中に溶け込んでいた、5人の歌声

私自身、これまで能動的、あるいは積極的に嵐を追いかけて聴いてきたわけではありませんでした。
けれど、熱烈なファンだった親の影響で、私の人生の背景にはいつも彼らの音楽がありました。

小学生や中学生の頃、サッカーの練習への送迎車の車内。特に彼らのライブが近くなると、車の中では新しいアルバムの音楽が永遠にリピートされていました。ライブが終われば、今度は家の中でライブDVDの映像がずっと流れている。 親にコテンパンに怒られて半べそをかいているとき、バックグラウンドで静かに「果てない空」が流れていたな、なんて情景が今でも鮮明に思い出されます。

木曜日の夜に食卓を囲めば、テレビでは決まって『VS嵐』が流れていた。 親は作業をしながら、録画していた『嵐にしやがれ』や『ひみつの嵐ちゃん』をリビングで流し見していた。 そして年末になれば、紅白歌合戦の司会から、深夜のジャニーズカウントダウンまで。 365日、生活の中に、そして成長のグラデーションの中に、彼らの存在は当たり前のように溶け込んでいました。

今回のライブ映像を観ていても、セトリの中に知らない曲は1曲もありません。何なら、口ずさむどころか、ほぼすべての曲を歌える。メンバーが叫ぶファンへのいつもの煽り文句に、安心感と一種のカタルシスさえ感じていました。

こうして、ただ歌って踊るだけで、画面の向こうの何万人、何百万人の人々に明日を生きる元気を送り、勇気を与える。そんな「誰かに熱狂を届けられる人」というのは、本当に特別な存在なのだと思います。
その華やかな輝きの裏側にある、血のにじむような努力や想像を絶する苦悩は、私なんかには計り知れないけれど。

当然ですが、私には彼らのような天性の華もなければ、人を惹きつける才能もありません。

一等星になれなかった私の、5等星のプライド

けれど、彼らの完璧なステージだって、彼ら5人だけで成り立っているわけではない。あの煌びやかなドームの舞台裏、5人の影には、数えきれないほどのスタッフや演出家、照明や音響のプロフェッショナルたちが控えています。彼らのプロの仕事があるからこそ、私たちはケニアの田舎という地球の裏側にいても、驚くほど美しい映像と音質で、あの感動をそのまま受け取ることができる。 そこには必ず、熱狂を「届ける側」の人間が存在しているのです。

終わりが近づいている大好きな漫画『宇宙兄弟』の中で、私の心に深く刺さっている茄子田所長の言葉があります。

「人という字は、支え合っているのではない。支える者がいて、その上に立つ者がいるのだ」

私は、これまでの人生の8割近くをプロのサッカー選手になるという夢に賭けてきました。けれど、結局その夢は叶わなかった。 その時に思い知らされたのです。私は、あのステージの一番上でスポットライトを浴びて「上に立つ者」ではないのだと。

私は、夜空を照らす太陽でもなければ、暗闇を導く満月でもない。ましてや、誰もが最初に見つけるシリウスのような一等星でもない。 せいぜい、肉眼で見えるか見えないかの、小さな「5等星」くらいなのだろうと思います。

でも、それでいいじゃないか、とも思うのです。 夜空に浮かぶ無数の2等星、3等星、そして名前すらつかない5等星たちの淡い光の集まりこそが、あの漆黒の夜空を「美しい」と思わせるキャンバスを作っているのだから。 誰にも名前を知られていなくても、何光年も前の遠い昔の光を、今も静かに届け続けている。それって、ものすごくかっこいい生き方だと思うのです。

スポットライトの当たらない場所で、小さな灯りをともす

熱狂の真ん中にいなくても、その熱狂を誰かに届ける仕事はある。

特別な才能があるわけではない私だから、この人生において、あるいはこの協力隊の活動を通して、嵐が成し遂げたような世界を揺らす大きな出来事を起こすことはできないかもしれない。

でも、いつか。

どこかで一生懸命に生きている誰かにそっとスポットライトを当てたり、間接的かもしれないけれど、私の発信や活動を通じて誰かを元気にしたり、前を向かせたりすることはできるはず。

だからこそ、まずは今、私が立っているこの場所でできることを全力でやろう。

世界からのスポットライトがほとんど当たらない、途上国ケニア。 その中でもさらに、誰も名前を知らないような泥臭い田舎の町、マトゥング。 ここで出会った農家たちと汗を流し、一生懸命に活動し、彼らの声を、彼らの物語を外へと発信し続ける。

夜空の片隅で、誰かの足元をそっと照らすような、そんな優しい光を灯す仕事を、ここから紡いでいきたいと思います。

https://online.familyclub.jp/s/jno/page/fco_WeareARASHI