【ケニア派遣167日目】「映画の中のアジア人がすべてだと思っている」。実習生の謝罪と、教育がもたらすリテラシーの壁

イチゴ農家との再交渉。予算と相談し、ビニールハウスの代わりにネットとコーンガーデンで排水性を担保する妥協案で着地。農家自身がSNSやJUMIAで調べて納得してくれた、当事者意識の芽生えを記録。

コーンガーデンと、農家が手に入れた納得

朝から、イチゴ農家の元へ向かい、今後の進捗について再度話し合いを行いました。

嬉しかったのは、彼女たちが家族みんなでしっかりと話し合い、周辺でのイチゴの価格調査まで自発的に進めてくれていたことです。

当初、彼女たちが希望していた簡易的なビニールハウスの建設は、さすがにコスト面でのハードルが高すぎると判断しました。その代わりとして、ネットを張ることで虫や鳥の被害を防ぎつつ、「コーンガーデン」と呼ばれるケニアでは主流の円錐状の立体栽培を取り入れ、排水性を担保しながらトライしてみよう、という着地点に落ち着きました。

彼女たちは、FacebookやTikTokなどのSNS、さらにはケニアのECサイトであるJUMIAなどを使って、自分たちでも色々とイチゴの栽培方法や必要な資材について調査してくれていました。 一方的に私からやり方を教えるのではなく、自分たちの目で情報を得て、納得した上でプロジェクトを進めていく。この「納得感」こそが、彼らの当事者意識を育む一番の栄養素です。 具体的な動き出しの目処が立ったので、私も彼女たちの熱量に負けないよう、しっかりと動いていきます。

ブクラのコーンガーデン:平らなベッドでは10株程度しか植えられないような狭いスペースでも、1階、2階と垂直(縦方向)にスペースを活用することで、より多くのイチゴを栽培できます

マタツの密室と、異文化の小さなノイズ

話し合いを終えた後は、隣町のムミアスへ。マッシュルーム栽培に必要な農業資材を調達しました。

その帰り道、マタツ(乗合バス)の中で、少ししんどい時間がありました。 私の隣に座った男性が、車内での移動中、私に対してずっと一方的に話しかけてきたのです。 ただの気さくな絡みなら良いのですが、こういう少しウザい感じの人が話す英語は、得てして独特な訛りが強くて非常に聞き取りづらい。こちらが適当に無視をしたり、窓の外を眺めたりしていても、お構いなしに延々と話しかけてきます。

ここ最近の怪我や、体調不良による疲労がまだ身体に残っていたせいもあるかもしれません。 いつもなら笑顔で流せるはずのその声が、今日はやけに頭に響き、かなりのストレスとして蓄積していくのを感じました。異国の密室で、コントロールできないノイズに晒され続けるのは、地味に心を削られます。

ボスの来訪と、1回押せば進む「慣性」

マトゥングに戻り、マッシュルーム農家の現場へ向かいました。 いよいよ栽培の1サイクル目も大詰めを迎えています。今日、用意した培地を作り、明日そこに種菌を植え付け(植菌)してしまえば、そこから先の3週間は温度と湿度の経過観察をするモニタリング期間に入ります。

今日の現場には、嬉しいサプライズがありました。 私の配属先オフィスのボス(SCAO:Sub County Agricultural Officer)が、わざわざ畑まで視察に来てくれたのです。 彼女は、普段は滅多に事務所の外に出ることがありません。そのボスが直接現場まで足を運んでくれたという事実だけで、このプロジェクトへの期待値の高さが窺えます。 ボスの目で進捗を確認してもらい、「good progress」と太鼓判を押してもらうことができました。

作業の合間、大学生の実習生が、ボスに対してキノコの栽培方法やプロセスについて説明を始めました。 彼がプレゼンをするのはこれで2回目ですが、前回に比べて、明らかにキノコに関する知識がしっかりと彼の頭に入っているのが分かりました。 やはり、ただ教わるだけでなく、インプットしたことを自分の言葉で誰かに「教える」というプロセスを反復すること。これこそが、知識を定着させる上で最も重要なのだと実感しました。

また、ボスと同僚と話し合う中で、「この場所をデモ圃場として、他の農業グループに向けたトレーニングを開催しよう」という具体的な横展開の話が飛び出しました。
実際のところ、このプロジェクトのメインである農家さんに対する不信感は、まだ完全には拭いきれていません。今日も一番キツい作業の時にいなくなってしまいましたし、やはり「自律的に動ける他の農家」へのアプローチも同時並行で進めていく必要があります。

さらに同僚たちは、「ブクラATC(農業トレーニングセンター)にも行って、色々と話を繋げてみよう!」と盛り上がっていました。 ケニアの人たちと仕事をしていて思うのは、こういう「あれをやろう、これをやろう」という前向きな会話は、その場限りの言葉だけで終わってしまうことがほとんどだということです。

だからこそ、私がしっかりと主導権を握って、実際に動き、彼らの背中を押し続けていかなければいけません。 今回のプロジェクトで分かったのは、彼らは動き出すまでは途方もなく遅いけれど、一度「ドン」と背中を押して動き出してしまえば、あとは慣性の法則のように、グングンと勝手に進んでくれるということです。 その慣性を生み出すための最初の力(エネルギー)を注ぐことこそが、私の役割なのだと腹を括りました。

昼ごはん。作業中はいつもこんな感じ。
ちゃんとしたご飯食べさせて〜。今度フィールドで1日の作業になる時はおにぎり持っていこう。

「彼らには、リテラシーがないんだ」

作業を終えての帰り道、今日一番の、忘れられない出来事がありました。

いつものように、道端にいた男から、アジア人を揶揄う言葉を投げかけられました。
私としては、いつものことなので完全に聞き流し、ガン無視をして歩いていました。

しかし、一緒に歩いていた実習生が、その様子を見て男に対して烈火のごとく怒り、反応してくれたのです。
そして、からかってきた相手が去った後、彼は私に向かって、申し訳なさそうな顔をして何度も、何度も謝ってくれました。

「本当にごめんなさい。あんな不快な思いをさせてしまって……」

彼のそのどこまでも優しい、そして真摯な態度に、嬉しさと申し訳なさが混ざり合い、泣きそうになってしまいました。あなたのせいではないのに、そこまで胸を痛めて、私のために怒って、謝ってくれるなんて。

彼が、ぽつりと語ってくれました。

「あれは、明らかにBully(いじめ・嫌がらせ)だ。でも、彼らにはリテラシーがないんだよ。フィクションと現実の見分けすらつかない。中国のカンフー映画の中に出てくるアジア人のイメージが全てだと思っていて、現実の日本人や中国人がどういう人間なのかを知らないんだ」

彼らのあのからかいは、悪意というよりも、圧倒的な「教育の欠如」と「情報の少なさ」が生み出しているものなのでしょう。

教育の重要性を、これほど強く感じた瞬間はありません。世界を正しく知るための教養(リテラシー)がないことは、結果的に他人を傷つけ、自分たちの世界の狭さに閉じ込めてしまう。 実習生の彼のような、物事を客観的に見つめ、他者を思いやれる知性を持った若者がこの国に増えていけば、ケニアはもっともっと素晴らしい国になっていくはずです。

からかわれて少し嫌な気分になった帰り道でしたが、実習生の優しさに触れて、最後は心が温かい気持ちで満たされました。

確かに、心無い言葉を投げてくる人は一定数います。でも、この街のほとんどの人たちは、本当に優しくて良い人ばかりです。 毎朝、笑顔で元気に挨拶を交わしてくれる近所の人。 「これ、ルヤ語ではなんて言うか知ってる?」と、嬉しそうに現地の言葉を教えてくれる市場のおばちゃん。

彼らの温かい世界に守られながら、私は今日もここで生きています。
明日は残る培地のキノコの植菌をやりきる。
主導権を握って、この慣性をさらに加速させていきます。