生きた英語と、「食」との向き合い方の再考
今週は語学授業が2日短いため、今日、週の小テストが行われました。
毎週学んだことを復習し、積み重ねていく。点数も大事ですが、残り2回、自分のためにこの大切な機会を活かしきろうと思います。
今日の語学授業は、不思議な時間でした。雑談、哲学、ディスカッション…先生の調子が良かったのか、授業はほとんど進まず、話は次々と逸れていきます。メディアのあり方、人を信頼してどこまで自己開示すべきか。でも、それもまた、生きた英語の勉強になったように思います。
午後のワークショップは、生活改善隊員の同期による「食」の講座。栄養バランスと環境負荷、その両面から理想の食事を考えました。野菜を半分ほどの割合にするのが良いそうですが、具体的な単位など、まだ不透明な部分も多いので、改めて勉強してみようと思います。

言葉の定義と、「怪しい外国人」という自覚。
夕食後は、「農村開発」について考える自主講座へ。
駒ヶ根訓練所の隊員やコミュニティ開発の先生、そしてコミュニティ開発隊員以外の方々もたくさん参加され、良い意味でバラバラで、とても興味深いディスカッションの場となりました。
そこで強く感じたのは、「言葉を定義すること」の重要性です。辞書的な翻訳だけでは、その言葉が持つ本当のニュアンスや文化的な解釈の違いは埋まらない。まずは、その「ズレ」を認識することから始めなければならない。
その上で、人・モノ・金の流れや、様々な「資本」を把握し、仮説を立てていく。手段は無数にあるけれど、目的はただ一つ、「現地の人たちの役に立つ」こと。
そのためには、いかに早く「怪しい外国人」という立場から抜け出し、信頼関係を築けるかが肝になる。「自分はまず『怪しい外国人』として見られている」。この自覚こそが、コミュニティ開発の、そして国際協力の、出発点なのだと学びました。



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