水と電気が揃う奇跡と、Canvaによる脳の筋肉痛
今日は我が家の水も電気も一日を通して機嫌がよく、驚くほど快適な時間を過ごすことができました。
蛇口をひねれば当たり前のように澄んだ水が流れ、スイッチを押せば室内に明かりが灯る。
この2大インフラが平和に共存してくれる日は、マトゥングの日常において滅多にお目にかかれない特別なボーナスステージです。
朝から溜まっていた洗濯物を手洗いし、部屋の隅々まで埃を掃き清め、キッチンに立って丁寧に料理を作る。水があるというだけで、生活のなかで実行できるタスクの選択肢が一気に何倍にも広がります。心の中の濁りがスーッと洗い流されていくような、実に爽快な朝でした。
家事を終えた後は、PCの前に座り、Canvaと長時間向き合いました。
10月からの本格展開やイベント出展を見据え、ジャムの販売用ラベル、そして活動を紹介するパンフレットのデザイン作業です。
コードを書いたり、戦略をロジカルに組み立てたりするのとは全く違い、ビジュアルのバランスや配色のトーンをゼロから整えていくクリエイティブは、普段使っていない脳の筋肉を無理やり引っ張り回されているような感覚に陥ります。画面の数ミリのズレを調整しているうちに、頭の芯がずっしりと重くなり、想像以上の疲労感が全身を覆っていきました。

「毎日が休みで、毎日が活動」という境界線
コミュニティ開発という職種で活動していると、平日のどこからが仕事で、休日のどこからがプライベートなのか、その境界線がほとんど曖昧になっていきます。
学校のチャイムのように明確な始業・終業の鐘が鳴るわけではありません。
見方を変えれば「毎日が休み」のようでもあり、同時に「毎日が活動」のようでもある。
だからこそ、誰かに決められたタイムカードに縛られるのではなく、自分自身の手で意図的にメリハリをつけ、無理のないペース配分を維持することが長く走り抜くための生命線になります。
今日はデザイン作業で頭が過熱したため、昼前にはベッドに潜り込んで死んだように深い眠りに落ちていました。 誰の目を気にすることもなく、身体の欲する声に従ってスパッとブレーキを踏む。このしなやかな余白を持てること自体、とても健全で良いリズムです。
オリンピア初観戦と、DNAという抗いようのない理不尽
また、今日は楽しみにしていた世界最高峰のボディビルコンテスト「ミスター・オリンピア」の配信を観戦しました。
私にとって、オリンピアをリアルタイムで観るのは今回が初めての体験でした。
特に注目していたのは、日本のトップ選手である横川尚隆選手が出場した212(ポンドクラス)のステージです。
結果は、初出場で世界7位。
日本のプロ大会では向かうところ敵なしの圧倒的な完成度を誇っていた横川選手であっても、世界の頂点に集う猛者たちを前にすると、やはり分厚く高い壁が立ちはだかっていました。
何より、優勝を果たしたキオン・ピアソンの身体は、素人目に見ても完全に別次元の怪物でした。 筋肉の丸み、立体感、背中の広がり、そしてウエストの細さ。これは日々のトレーニングや食事管理の努力だけで埋められる領域を遥かに超えており、生まれ持った骨格や筋肉の付着部、つまりDNAそのものの圧倒的な資質が支配している世界だと見せつけられました。
普段、ケニアの農村で暮らしていても、現地の人々の天性のバネや手足の長さ、無駄のない筋肉の付き方に息を呑む瞬間が多々あります。 同じ人間でありながら、スタートラインの時点で骨格という圧倒的なフィジカルの格差が存在している。その抗いようのない不条理を前にしたとき、多くの人は立ち尽くし、諦めてしまうはずです。

理不尽を前に世界と戦う横川の格好良さ
だからこそ、その絶望的な骨格や遺伝子の差という理不尽をすべて真正面から引き受け、世界最高峰のステージで堂々とポーズを繰り広げた横川選手の姿に、胸の奥を強く揺さぶられました。
自分に与えられたカードが相手より劣っているからといって、腐ることも、言い訳をすることもなく、自らの筋肉を極限まで研ぎ澄ませて世界の猛獣たちに挑みかかる。
その生き様は、美しい。
世界に飛び出し、日の丸を背負って戦う日本人の姿。
地球の裏側のケニアで一人画面を見つめる私にとって、これ以上ないほどに強烈な熱量と勇気を与えてくれる光景でした。
明日は、大相撲九月場所の千秋楽。
こちらも優勝争いが最後までもつれ込んでおり、どんなドラマが待っているのか楽しみで仕方がありません。
世界で戦う肉体の凄みに背中を押されながら、たっぷりと充電できた休日でした。
