数秒で決まる奥深さと、「やる気」の曖昧な正体
本日、大相撲の七月場所が、千秋楽を迎えました。
幕下、十両、そして幕内。すべての階級で優勝争いが優勝決定戦までもつれ込む、実にドラマチックな場所でした。 幕内では両横綱の不調もあって大混戦となり、一観客として非常に見応えがありました。私の推しである若隆景が休場していたため、どこか俯瞰した目線で眺めてはいましたが、それでも十分に引き込まれました。
たった数秒、一瞬の立ち合いで勝負が決まる競技。
それなのに、どうしてこれほどまでに奥が深いのだろうか。
いや、むしろ数秒で決着がつくからこそ。そこに凝縮された技術や駆け引き、精神力のドラマが無限の深みを生み出しているのかもしれません。言葉で簡単に説明することは到底できませんし、私自身、まだその奥深さを完全に理解できているわけではありませんが、日本の伝統文化が持つ凄みに改めて感嘆させられました。

画面の横で大相撲を流しながら、手元ではPC作業を少しずつ進めました。
ただ、この週末はどうにもエンジンがかからず、すっかりやる気が出ない状態が続いていました。なんとか最低限やらなければいけないタスクだけをこなして、一旦手を止めることにしました。
ふと、やる気が出ないという状態の正体について考えていました。
昔、「やる気スイッチ」という言葉が流行したことがありますが、そもそも人間にとって「やる気(モチベーション)」とは一体何なのでしょうか。
疲労が蓄積しているときや、身体のコンディションが乱れているときにやる気が起きないのは、ごく自然な生理現象です。
世の中の自己啓発本やビジネス書では、モチベーションの上げ方やメンタルのコントロール術が盛んに語られています。しかし、それらの多くは一時的に脳内にドーパミンを分泌させるための、いわば短効性の「興奮剤」に過ぎません。脳科学的にも、外部からの刺激で人工的に引き上げられたドーパミンのスパイクは、その後に必ずベースラインを割り込む急降下と疲労感を伴います。感情の高ぶりに頼った「やる気」を長期間にわたって維持し続けることなど、構造的に不可能なのです。
行動を持続させるために本当に必要なのは「気合やモチベーション」ではなく、感情の揺らぎに左右されない「環境設計と習慣」です。
しかし、ここケニアで一人で生活していると、その「システム化」すらも容易ではありません。 決まったルーティンを作ろうにも、予告のない断水や停電、約束の不履行といった不条理な外部要因によって、日常の前提条件があっけなく破壊されてしまうからです。外部の環境がこれほど流動的な場所では、いくら頑丈なシステムを組んだつもりでも、簡単に機能不全を起こしてしまいます。
だからこそ、感情に頼るモチベーションを諦め、同時に「完璧なシステムを作る」という理想も手放す。
やる気が出ない日もある。
不便な環境でシステムが崩れる日もある。
その中で最低限のタスクをこなしただけでも、今日の自分は十分に偉い。
そうやって、自分に対して素直に合格点を出してあげることにしました。
熱狂と嫌悪の狭間で、揺れる「私のアフリカ」
昼過ぎからは、オンラインで1時間のミーティングに参加しました。 アフリカに関心を持つ日本のGenZが集まるコミュニティのイベントです。
画面越しに集まった若い世代の熱量に触れていて、ひとつの確信めいた印象を抱きました。 「アフリカ」というこの巨大な大陸に対しては、どこか熱狂的なまでに惹きつけられ、愛してやまない人々が一定数存在する、ということです。
日本の社会にはない圧倒的な生命力や、人間の原点に通じるエネルギーが、彼らを魅了して離さないのかもしれません。
その一方で、SNSのタイムラインなどに目を向けると、アフリカという存在を極端に嫌悪し、冷ややかな視線を向ける人々も確実に存在します。
「好きな人からは猛烈に愛され、嫌いな人からは徹底的に嫌われる」
これほどまでに評価が極端に二分される場所も、珍しいのではないでしょうか。
では、実際にそのアフリカの片隅で日々生活を送っている私自身は、どうなのだろうか。
問いを自分に向けてみると、私はその「熱狂的な好き」と「拒絶」のちょうど真ん中のグラデーションの中で、ゆらゆらと揺れているような気がします。 「アフリカが好きですか?」と聞かれても、私自身は即座に「イエス」と答えることはできません。
不条理なインフラや約束の不履行に激怒することもあれば、人の温かさや豊かな自然に救われることもある。 愛憎が複雑に絡み合った、この曖昧で等身大な距離感こそが、今の私の正直な現在地なのだと思います。
炭火の煙と、「等速」で準備する贅沢
夜ご飯には、自分で「焼き鳥」を作ることにしました。
ガスではなく、炭を使ってじっくりと焼くスタイルです。
しかし、普段使い慣れていない炭への着火作業は、想像以上に難航しました。団扇を仰ぎ、火種を育てるまでにかなりの時間と労力を費やすことになり、何度も苦戦させられました。
それでも、試行錯誤の末になんとか赤々と起き上がった炭火で、丁寧に肉を焼き上げていく。
出来上がった焼き鳥を口に運んだ瞬間、その香ばしさと肉汁の旨味に、言葉を失いました。
うますぎる……
思わず、キリッと冷えたハイボールが恋しくてたまらなくなるほどの極上の味でした。
コンロのスイッチひとつをひねれば、一瞬で強い火が手に入る現代の利便性。それに比べれば、わざわざ炭を起こして火を育てるプロセスは、時間の無駄であり非効率の極みです。
しかし、煙に巻かれながら手を動かし、時間をかけて夕食の準備を整えていくそのプロセスの中に、何とも言えない豊かな充足感が宿っているのを感じました。
世の中のあらゆる物事が「倍速」で処理され、効率性ばかりが持てはやされる現代社会。 そんな加速する世界の中で、あえて自分のペースの「等速」で時間を使い、じっくりと手作業で準備を進めることの価値。
不便利さを引き受けながら手に入れたその一口の味は、どんな高級レストランの料理よりも深く、私の心とお腹を満たしてくれました。
モチベーションに無理に火をつけようとせず、等身大の自分を受け入れること。
今夜は炭火の温かい余韻を身体に残しながら。
明日からの新しい1週間も、私自身の自然なテンポで、日常を丁寧に過ごしていきます。
