顔を覚えられる強みと、ムミアスでのレストラン営業
今日はいよいよ、収穫が始まったキノコの販路を開拓するため、一日営業活動に費やしました。
以前、隣町ムミアスを自分の足で歩き回ってリサーチをしていた際、あらかじめ目星をつけておいた3つのレストランのマネージャーのもとへ直接交渉に向かいました。
顔を合わせると、彼らは「きのこできたのか!」と、とても好意的に迎え入れてくれました。 この地において、私はどうしても目立つ「ムズング(外国人)」です。日常的にからかわれたり、じろじろ見られたりすることには疲弊することもありますが、こういう交渉の場においては、「一発で顔を覚えられやすい」というこの上ない強力なアドバンテージになります。
シェフやキッチンスタッフを交えて検討してもらうため、今週中には購入の有無や数量について返答をもらえることになりました。まずは最初の数歩としては、とても手応えのあるスタートです。
一方で、地元のスーパーへの進出についても打診を試みたのですが、こちらは「KEBS(ケニア標準局)」という国の公的な認証がないと棚に並べるのは厳しい、と現実を突きつけられました。 この認証を取得するには、時間もお金もコストがかかるため、現在のスモールスタートの段階では到底現実的ではありません。スーパーへのアプローチは一旦脇に置き、ターゲットをローカルの飲食店と個人に絞る戦略で進めることにしました。

乾燥か、生鮮か:重量10%がもたらす価格の壁
営業を回るなかで、非常に貴重な出会いがありました。 このエリアで4〜5店舗のレストランを経営しており、地域での顔も非常に広いという、力強い女性経営者の方と繋がることができました。
彼女は私のキノコプロジェクトにとても深い関心を示してくれ、「販売も全面的に協力するよ」と嬉しい言葉をかけてくれました。 しかし、彼女から求められたのは、「生ではなく、乾燥マッシュルームが欲しい」という要望でした。 理由は明白で、保存が効くこと、そして現地の消費者が普段から乾燥キノコを食べ慣れているという文化的な都合からです。
一見、顧客のニーズに合わせて、乾燥キノコの製造に踏み切るべき状況にも思えます。しかし、ここでノートを広げてシビアなコストと価格をシミュレーションしてみると、とても厳しい現実的な財務の壁が立ちはだかります。
現在、私たちは生のキノコを「1kgあたり600KES(約750円)」で販売する計画を立てています。 しかし、キノコは乾燥させると、水分が抜けて重さが「約10%」にまで激減してしまいます。
つまり、フレッシュの価値とまったく等価で乾燥キノコを販売しようとすれば、 「1kgあたり6,000KES(約7,500円)」 という、恐ろしい高値をつけなければ採算が合わなくなってしまうのです。
もちろん、乾燥キノコは水で戻せば数倍に膨らむため、小さなパッケージ(小ロット)にして単価を調整すれば、ある程度高く売ることは可能です。しかし、1kgあたり6,000KESという絶対的な価格は、ケニアの地方の一般的な人々の購買力からして、お世辞にも現実的とは言えません。
実際に、知人の乾燥キノコを販売しているケースでは、乾燥で「1kgあたり2,500KES(約3,130円)」という安値で売られていました。 これを生の重量に逆算すると、フレッシュ1kgあたりわずか250KESで買い叩かれているのと同義であり、私たちが生の状態で売る場合の半分以下の価値しか生み出せていないことになります。これでは、農家の収入向上という本来の目的は達成できません。
この数字をトレーナーに共有したところ、「乾燥に安易に逃げず、まずは生で価値を認めて買ってくれる市場を開拓するために努力を注いだ方が絶対にいい」と、強くアドバイスをもらいました。
売れ残って廃棄するくらいなら、最終手段の保存策として乾燥加工を施すのは正解です。ただ、基本路線は、やはり生のキノコを安定して消費してもらうこと。 キノコ60kgを作るためには、大体15,000円(約12,000KES)ほどの運営費がかかります。このコストをしっかりと回収し、農家が確実に豊かな現金収入を得られるよう、価格交渉と販路の設計は妥協なく、シビアに計算し尽くしていこうと思います。

逆転負けの悔しさと、コモンとしてのサッカー
夜は、サッカーワールドカップの日本代表戦。ケニア時間ではちょうど20時キックオフという、寝不足を心配する必要のない完璧な時間帯でした。
試合の結果は、残念ながら逆転負け。悔しいが、これが勝負の世界です。仕方ありません。
私はここから、切り替えてアルゼンチン(そしてメッシ)を応援することに決めました。
しかし、負けの悔しさは残るものの、改めて今回のワールドカップを通じて、スポーツ、特にサッカーが持つ圧倒的な影響力に改めて深く感動させられました。 まさに、世界中を巻き込んだ4年に一度の巨大なお祭りです。普段はサッカーのリーグ戦なんて1ミリも観ないような人も、この期間ばかりは皆が当たり前のように同じテレビの前に集まり、声を枯らして応援している。
サッカーというスポーツが持つ一番の美しさは、こうして「すべての人に平等に開かれていること」にあるのだと思います。
近年、欧州トップリーグの観戦チケットは高騰の一途をたどっています。今回のW杯のチケットも今の私には手の届く金額ではありませんでした。
今や現地のスタジアムに足を運べるのは富裕層ばかりになり、スポーツが特権階級のエンターテインメントへと変質しつつあるもどかしさを、ニュースを見るたびに感じていました。
しかし、ここアフリカ・ケニアの果ての田舎マトゥングであっても。 電気が止まりかけ、舗装もされていない道路の脇の小さなパブや民家で、皆がひとつのテレビ画面を囲んで、身体を揺らしながら熱狂している。
お金の有無や、生まれた場所、人種なんて関係ない。ボールが一つあれば、誰もが瞬時にその熱狂の一部になれる。 サッカーは、特定の誰かのものではない。人間に残された、最も手軽で、最も尊い「コモン(共有財産)」なのだと感じます。
まだまだ始まったばかりの販路開拓。 まずはこの1週間でレストランからの吉報を掴み取れるよう、足を動かしていきます。