洗濯と冷凍食材、そして「日常」の帰還
朝から、溜まっていた洗濯物を手でごしごしと洗う。 ナイロビでの贅沢な滞在から戻り、こうして自分の手で洗濯物を絞っていると、「ああ、いつもの日常が戻ってきたな」と身体の感覚で実感します。ナイロビには洗濯機がありました。文明の利器、恐るべし。
お腹を空かせ、約6日前に冷凍しておいたアボカド、マンゴー、そしてパンを解凍して食べることにしました。 正直、私が留守にしていたこの1週間の間にどれだけの停電があったのか(=冷凍庫の中身が一度溶けていないか)が分からないので、内心「怖いな……」と思いつつ口に運びます。 案の定、日中になって少しお腹がキュルキュルと痛くなってきたので、やはりどれかの食材が少し痛んでいたのでしょう。これぞマトゥングに戻ってきた洗礼です。
祈って待つキノコと、バナナをなぎ倒す自然の脅威
午前中は、さっそく任地のキノコ農家へ。 先々週に仕込んだ菌床ブロックの進捗確認です。先週訪れたJKUATなどで学んだ無菌管理や空気循環の重要性を頭に置きつつ、恐る恐る確認をしました。幸いなことにカビなどは生えておらず、順調に白い菌糸が広がっていました。まずは一安心。このまま何事もなく、綺麗なキノコが発生してくれることを祈りつつ、あとは辛抱強く「待つ」フェーズです。
農家さんに聞くと、先週の最後の植菌は、実習生たちと農家自身でしっかりやってくれたとのこと。 実は実習生の一人が直前までひどく体調を崩していたそうなのですが、「トム(私)と約束したから」という理由で、無理を押して最後まで頑張ってくれたらしいのです。そして結局、その作業を終えた翌日から本格的に寝込んでしまったのだとか。責任感の強さがまるで「日本人」のようで、身体を壊すほど頑張る姿は手放しで褒められたことではないのかもしれませんが、それでも彼が抱いてくれたその誠実さと熱意には、胸が熱くなり、感謝しかありませんでした。
一方で、その農場の裏に回ると、悲惨な光景が広がっていました。 あちこちのバナナの木が、根本からめためたにへし折れて倒れていました。昨夜の襲った猛烈な嵐の仕業です。日本では台風の被害がニュースになっていますが、ここケニアでも、こうして日々の暮らしのすぐ隣に自然の脅威が牙を剥いて存在しています。変わり果てたバナナの姿に、悲しみがこみ上げました。

優秀ないちごの管理と、ケニアが誇る「スピード感」
バナナの木があれほどやられる嵐だったのなら、病院で栽培している「いちご」はどうなってしまっているだろうか……。大きな不安を抱えながら、次はいちごの確認に向かいました。
しかし、その心配は杞憂に終わりました。いちごの調子は良好。それどころか、私が以前「こうしてほしい」と口頭で指摘していた水分管理や土壌のケアが、すべて完璧に実行されていました。 さすが、病院関係の優秀なマネージャーなだけはあります。彼のような高い理解力と実行力を持つ人と一緒に仕事ができるのは、この活動において本当にありがたいことです。

夕方、もう一つの不便が解消されました。 マトゥングに戻った日から詰まっていたキッチンのシンクを、修理屋さんが直しに来てくれました。 修理屋は、私がいつもご飯を食べているダイニングテーブルの上に、当たり前のように汚れた工具を直置きしてきました。「おいおい、この野郎(笑)」と心の中でツッコミを入れつつも、彼の無駄のない手際の良さには感心するばかり。
ケニアのインフラは確かに信じられないほど不便でよく壊れます。でも、いざ壊れたときの「近所のネットワークの早さ」や「その日のうちになんだかんだで直してしまう解決力」は、日本よりもはるかに迅速で温かい。不便だけど、頼れる誰かがすぐそこにいる。それもまた、この国の大きな魅力なのだと思います。

目標設定の難しさと、ケニアの痛ましい教育の闇
シンクが直って水が流れるようになった快適なキッチンで、少しホッとする。
夕方からは、2日前に惜しまれつつ解散した嵐の曲を聴き、彼らの姿に想いを馳せながら、机に向かって作業を続けました。
夜は、Podcastの収録。今日のテーマは「目標設定の難しさ」と、それに対する「評価基準をどう構築するか」という議論でした。
「定量的な数字や目標を設定することって、結局のところ、評価する側のエゴや一方的な都合に過ぎないんじゃないか」という問いはぐさっと刺さりました。
物事を無理やり数値化し、それだけで人間の努力や価値を測ろうとするシステム。
それに縛られることで、私たちは一体何を見失ってしまうのだろう。
そんなことを考えたとき、今、ケニア中を激震させている極めて痛ましいニュースが、頭の中で重なって仕方がありませんでした。 ナクルのウトゥミシ・ガールズ・アカデミー(女子校)で起きた、16名もの命が奪われたドミトリーの放火事件。 警察の捜査が進む中、防犯カメラには「生徒自身が自ら火を放つ姿」がはっきりと映し出されていたと発表されました。
ケニアの全寮制学校において、生徒による放火は数十年前から繰り返されている根深い社会問題だそうです。 なぜ、この時期に集中するのか。 その背景には、ケニアの異常なまでの「試験至上主義」があります。たった一度の全国一斉試験の点数だけで将来のすべてのパスが決まってしまうゼロサムゲーム。朝から深夜まで分刻みで勉強を強いる過酷なスケジュールと、プライバシーのないすし詰めのドミトリー。
「学校を燃やせば、試験が中止になって家に帰れる(逃げられる)」という、限界を超えた子供たちのあまりにも短絡的で、悲痛なストライキの叫び。 しかし今回の事件の恐ろしさは、過去の「昼間の無人の寮を狙った放火」とは違い、「同級生たちが中で眠っている深夜」に火が放たれた点にあります。
誰かが作った「定量的な評価(テストの点数)」という冷徹なものさし。
それに四方を囲まれ、逃げ場を失った子供たちの心が擦り切れ、歪みきった末に起きた、あまりにも深い闇。 私たちが「農業ビジネス」や「国際協力」で直面する評価基準の悩みも、根っこは同じなのかもしれません。目標を立てて成果を強いるシステムが、現場の体温を奪っていないか。
明日からも活動は続きます。
インプットしてきたものを泥臭くアウトプットしていくけれど、数字を追いかけるだけの「評価する側」のエゴに陥らないよう、目の前にいる一人ひとりの熱量と体温をしっかりと見つめながら、一歩ずつ進んでいきたいと思います。