土の匂いと、守るべきもの
今日は語学授業がなく、二本松市内で活動する「所外活動」の日でした。私は、市内の米農家さんの元でお手伝いをさせていただくことに。
収穫はすでに終わっており、今日は畑の藁を散りばめる作業と、薪割りのお手伝い。斧を振り下ろす姿を想像していましたが、実際には小さな機械で安全に割る仕組みになっており、時代の進化を感じます。
お世話になった農家の方は70代。18枚もの田んぼと梨畑を、たった一人で管理されているというから驚きです。その圧倒的な体力と精神力は圧巻です。 しかし同時に、その後継者がいないという現実、猟師が減ったことで深刻化する猪や熊の獣害。そうした不満や不安の言葉は重く響きました。
この半年、農業という現場に触れる中で、この国の高齢化と後継者問題がいかに深刻であるかを痛感しています。2年後、私がケニアから帰国する時、この国の食糧事情はどうなっているのだろうか。自分に何ができるのか、模索し続けなければならないと、改めて思いました。
作業の合間にいただいた、温かいけんちん汁と、採れたての柿や梨。その優しい味が、冷えた体に染み渡りました。
人は、何によって生きるのか
訓練所に帰った後、夜はNICU(新生児集中治療室)の看護師の同期などによる「愛着形成」に関する自主講座に参加しました。これが、今日の農業体験とも繋がる、深く、重い学びの始まりでした。
「生きるための最低限の機能(食事、衛生)だけを与えられた乳児は、どう育つのか」。ある実験では、被験者となった乳児が1歳を迎える前に全員亡くなってしまったといいます。 ハーロウのアカゲザルの実験も衝撃的でした。ミルクをくれる「針金の母」と、温もりだけを与える「布の母」。猿の赤ちゃんが選んだのは、圧倒的に「布の母」でした。どんなにひどい仕打ちを受けても、母の温もりを求め続ける。
「愛着」とは、単なる情緒的な甘えなどではなく、命を守るために生まれつき備わった、本能的な「生存戦略」なのです。

感覚が、世界を形作る
さらに、スキンシップや遊びといった「原始系の感覚」が、いかにその後の「識別系の感覚(五感)」の土台となるか。この基礎感覚がうまく育たないと、触覚過敏に繋がり、生きづらさを抱えることもある。NICUのようなストレスフルな空間でこそ、カンガルーケアのような「触れる」ことが、赤ちゃんと親の双方にとって重要になる。
知れば知るほど、人が「育つ」ということの奇跡と、そのためにどれほどの「愛」と「関わり」が必要なのかを痛感しました。
誕生、育ち、そして今
講座の締めくくりは、生活班のメンバーの誕生日祝いでした。
今日一日、「生きる」ことを支える、二つの糧について考えていました。 一つは、農家の方が必死に守ろうとしている、私たちの命を繋ぐ「米」。 もう一つは、私たちが生まれて最初に求める、「愛着」という心の糧。
人が「誕生」し、「育ち」、そして「今を迎える」。 その当たり前のようで奇跡的なプロセスの両輪に触れたような、忘れられない一日になりました。



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