折り返し地点の、昂りと焦り
運動会の余韻も冷めやらぬまま、今日からまた新しい一週間が始まりました。
訓練所の生活も、残すところあと片手で数えられるほどの週数に。終わりが見えてきたことへの昂りと、このままで大丈夫かという焦り。今、心の中には様々な感情が渦巻いています。
今日の英語のディスカッションテーマは「性善説と性悪説」でした。こうした哲学的な問いを、全く異なる背景を持つ世界中の人々と語り合えるようになったら、どれほど面白いだろう。そんなことを夢想しながら、授業に臨みました。

「減らす」という、和食のデザイン
午後は、「ナレッジシェアリング」というコミュニティ開発隊員向けの講座がありました。 そこで出会った、「活動とは、足し算だけではない」という考え方に、頭を殴られたような衝撃を受けました。
私たちは「活動」と聞くと、何か新しいことを始める「足し算」ばかりを考えがちです。しかし、時には「休む」ことや、今あるものを「減らす」こと、つまり「引き算」こそが、本質的な改善に繋がる場合がある。それは、こってりとしたソースを重ねるフランス料理ではなく、素材の味を最大限に引き出す、澄んだ和食のお出汁のような考え方。とても美しいコンセプトだと、感動しました。
結局、コミュニティ開発とは、住民が主役になるための「プロセス」をデザインすること。外部の人間である私たちは一歩引き、彼らとの対話の中からヒントを拾い上げ、自走できるための小さな成功体験を積み重ねていく。そのために必要なのは、豪華な資金や目新しい機材ではなく、「今あるもの」を見つめ直し、活かす視点なのだと学びました。
言葉を超える、ピクトグラムのデザイン
そして食後は、デザイン隊員の同期による「ピクトグラム」の自主講座へ。 誰が見ても、即座に、直感的に理解できる。それが、言語や文化の壁を超えるデザインの力。
例えば、非常口のピクトグラム。なぜ緑色なのか。それは、暗闇でも目立ち、炎の赤の補色だから。作り手の「伝えたい」という意図と、受け手の「伝わった」という解釈の間に、一切の誤差がない。これこそが、優れたデザインなのだと知りました。
無料で聞いていいレベルではない、永久保存版の講座でした。
プレゼン資料の作成など、明日から早速使えるヒントに満ちていました。
二つのデザインに、道は拓ける
「減らす」ことで本質を浮かび上がらせる、和食のようなコミュニティのデザイン。 「削ぎ落とす」ことで意味を伝える、ピクトグラムのデザイン。この澄ますデザインが、現地の人々と共に課題を発見し、解決への道を「見える化」するための、強力な武器になるはずです。
残り1ヶ月。焦りがないと言えば嘘になります。
でも、今日得たこの「デザイン」という視点が、きっとケニアへの道を照らすと信じて、頑張ります。



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