忘却に抗うための、旅の始まり
今日は、自主講座「あいべえ相双」のバスツアーで、東日本大震災の被害を受けた浜通りを訪れました。
道中の車内、参加メンバーがそれぞれ語る3.11の経験を聞きながら、改めて思います。
15年という時間は、人の記憶から経験を薄れさせるには、十分すぎる長さなのだと。
そんなことを考えながら、車窓の遠くに見える原子力発電所を横目に、最初の目的地へと向かいました。
人智を超えたものへの、責任と反省
東京電力廃炉資料館。
そこで感じたのは、エネルギーを生み出すことの責任の重さと、人智を超えた存在を扱うことへの、「反省」と「謝罪」の姿勢でした。
当時、再三にわたって使われた「想定外」という言葉。しかし、自然の猛威が人の想定を超えることは、ある意味で当たり前です。その言葉を盾にすることは、備えが十分でなかったという「人災」の側面から目を逸らすことにも繋がりかねない。
人智を超えた技術を扱うことの、本当の責任とは何なのか。エネルギーを享受して生活している私自身も、この問いを決して「他人事」にしてはいけないと、改めて強く感じました。

時が止まった教室で、考える「復興」
次に訪れた、請戸小学校。
「街は復活しないでしょうな。」
解説してくださった方のその一言が、ずっしりとのしかかりました。
校舎の周りには何もなく、ただ更地が広がっていました。
人の気配はなく、この街に人々が戻ってくることは、もうないのかもしれません。
教室の時計の針は、あの日のままで止まり、体育館の壁には卒業式の準備がされたまま。算数の教科書は「比例」のページが開かれていました。 ここで時間が止まってしまった子供たちがいた。その事実が、声なき声となって胸に突き刺さります。
復興とは、一体何なのでしょうか。ただ街が綺麗になることではない。災害は、揺れが、波が、雨が止んだ瞬間に終わりではないのだと、静かな教室は教えてくれました。
しかし、この止まった針は、ただ放置されているわけではありません。この悲劇を、歴史を、風化させないために、あえてこの時間を「停めて」くれている人々がいます。その意志に、未来への責任を感じずにはいられませんでした。


数字の裏にある、一人一人の人生
また、被災者の方から、直接お話を伺う機会もありました。
消防団や地元の人々の助け合い、熊本から駆けつけたボランティアの神主さん、社殿を寄贈してくれた球磨工業高校の生徒たち。極限状態の中で、いかに「人との繋がり」が命綱になるか。
そして、涙ながらに語られる、壮絶な体験。
誰もが「自分だけは大丈夫」と思っていたこと。後から思えば、なぜあんな行動を、と思うことの数々。痛みを感じなければ、本当の恐ろしさは分からない。でも、悲劇が起きてからでは遅い。だからこそ、こうして話を聞くことに、計り知れない価値があるのだと感じます。
文字で読むのとは全く違う、感情の温度に触れた時、「ああ、この経験を、そしてこの善意を、決して無駄にしてはいけない」と、強く、心に誓いました。

しかし、周りには人気はほとんどありませんでした。
「当たり前」の尊さ
道が通れなかった偶然、避難所に行けなかった偶然。ほんの少しの偶然が、生死を分けたという話も伺いました。私たちは、無数の「たまたま」の上に生かされている。そして、「普通」の日常がいかに尊いものか。この幸せを、もっと噛み締めて生きなければならない。
この貴重な学びの機会を、約1ヶ月も前から準備してくださった企画メンバーの方々には、感謝しかありません。本当に、ありがとうございました。
この学びを、これからの協力隊活動で、そしてその先の人生で、必ず活かしていきます。





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