午前中は、宮川洋蘭の「グラスブーケ」制作、その最終工程を手伝わせていただきました。ガラスに僅かな傷も、一点の汚れも残さぬよう、細心の注意を払って磨き上げる。非常に繊細な作業です。体を動かす、多少大胆さが求められる「生産」の現場とはまた違う、「加工」という世界の難しさを感じます。正直、私の得意な領域ではありません。
丁寧な仕事と、「外国人」という大きな主語
このグラスブーケの責任者と、胡蝶蘭の出荷責任者は、どちらもベトナム人の方です。彼女たちの仕事は、本当に丁寧で、真面目で、いつも感銘を受けます。素晴らしいプロフェッショナルです。
そんな個人の姿を目の当たりにしていると、最近の世界の風潮に、強い違和感を覚えずにはいられません。
アメリカではトランプ大統領が自国第一主義を掲げ、日本では参政党が勢いを増している。もちろん、全ての外国人を否定しているわけではない、という主張は理解します。しかし、その根底に「外国人」という大きな主語で語られる不満や批判が存在することも、また事実でしょう。
これは、昨日のルワンダの話にも通じます。民族ではなく「一個人」として向き合ってくれた、あの国の心地よさ。人を「外国人」や「日本人」といった大きな主語で一括りにすることは、あまりにナンセンスで、何より、ダサい。
コロナ禍で「ヨーロッパの人から、アジア人と一括りに差別された」という言葉を、私たち自身が口にしていたはずです。その発言が孕む愚かさに、私たちはもっと自覚的であるべきなのでしょう。
ゼロからイベントを創り出す、という経験
午後は、来たるべき対話の場「車座」の準備。試作品を作るための食材や、備品を市内に買い出しに行き、やるべきことを整理し、まとめ上げる。ゼロから一つのイベントを創り出すことの難しさと、それ以上の面白さを、今、私は全身で感じています。
これは、私が「何かやりたい」と声を上げ、提案し続けた結果、与えていただけたチャンスです。ただ待っているだけでは、何も始まらない。自ら動き続けることこそが、新しいチャンスを呼び込む唯一の方法なのだと、改めて実感しました。
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