身体からの強烈なSOS
一晩明けて朝起きても、熱は全く下がっていませんでした。
いやー、きつい。間違いなく、ケニアに来てから一番きついです。 割れるような頭痛、立ち上がれないほどのフラフラ感、ギシギシと軋む関節痛、そして腹痛と高熱。 見事な「フルアタック」。
これは流石に、身体からの強烈なSOSを感じました。 結局、朝から夜まで1日中、高熱にうなされてベッドから一歩も動けませんでした。
朦朧とする意識の中で、同期隊員にこう言われました。
「意図的に、あらかじめ休息の時間をスケジュールに入れなさい」
なんだか、大学時代に親しい友人からも全く同じことを言われた記憶が蘇ってきました。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私のこの「倒れるまで走り続けてしまう癖」は、日本にいた頃から何も変わっていなかったようです。
「量質転化」の罠と、AIとの違い
20代のキャリア論において、最近はワークライフバランスが叫ばれる一方で、その裏では「結局、20代は圧倒的な『量』をこなした人間が勝つ」とよく囁かれています。
いわゆる「量質転化(量は質に転化する)」の法則です。 最初から質を求めるのではなく、泥臭く大量のインプットとアウトプットを繰り返すことで、ある臨界点を超えた時に初めて「高い質」が生まれる。 これは、膨大なデータを読み込ませることで精度を上げていく現在のAI(人工知能)のディープラーニングの仕組みとも全く同じです。
その考え方には大いに賛同しています。 だからこそ、ケニアに赴任してからの約3ヶ月間、とにかく村を歩き回り、人に会い、拙い言語でぶつかり、新しいプロジェクトを次々と立ち上げるという「圧倒的な量」をこなしてきた自負があります。昨日までの日記を振り返っても、常に動き続けていました。
でも、人間はAIを動かすサーバーではありません。 いくら脳が「もっとデータを食わせろ(動け)」と指令を出しても、物理的な肉体が悲鳴を上げ、ハードウェアごとクラッシュしてしまっては、元も子もないのです。 どんなに志が高くても、体調を崩してしまっては絶対にダメだ。 今回の高熱は、その当たり前の事実を私に叩きつけました。
今までの感覚を捨てる。「ちゃんと休もう」
私には、無意識のうちに「自分の限界ギリギリのラインで戦わないといけない」と思い込んでいる節があります。限界まで追い込むことで、成長や生の実感を得ようとしているのかもしれません。
しかし、ここは日本ではなく、アフリカのケニアです。 日本と同じパフォーマンスを出そうとするだけでも、見えない言語の壁や、適当な道案内、突然の停電、そして「チンチョン」と呼ばれるような無数の摩擦があり、どこに行っても息をしているだけでストレスが溜まります。 その上、電気も水も不安定な環境で、家事から食事、安全管理まで、全部を一人でこなさなければならない。
「そりゃ、疲れるわな」 白い天井を見上げながら、一人で深く納得しました。
日本の恵まれたインフラと、日本語が通じる環境で限界まで戦っていた「今までの感覚」のまま、ここケニアで同じように限界を攻めたら、そりゃあ倒れて当然です。 環境のベースラインが全く違うのだから、ペース配分も変えなければいけない。
「時間ができたら休む」のではなく、同期が言うように「休むという予定を意図的に組み込む」。 休むことも、2年間という長距離走を完走するための立派な「仕事」であり、戦略です。
熱にうなされるというキツい代償を払いましたが、しっかり痛い目を見て、赴任3ヶ月というこのタイミングで「ちゃんと休もう」と心の底から思えたのは、ある意味で最高の収穫だったかもしれません。 ここ数日はAIのように電源を落とし、システムが復旧するのを静かに待ちたいと思います。


コメント