10人乗りのトゥクトゥクと「我が家」
朝から移動し、お世話になった同期や先生たちに挨拶をして、一人で任地のマトゥングへ戻ってきました。今日からまた、ここでの活動再開です。

道中は、ちょうど通学時間帯でした。小銭を握りしめた子どもたちが、小さなトゥクトゥク(三輪タクシー)に次々と乗り込んでいきます。一台になんと10人くらいがすし詰めに。
たくましくも可愛らしい光景でした。
久しぶりに家に帰ると、留守の間に虫がだいぶ増えていました。 「まあしょうがないか」とスプレーを片手に駆除活動。 ケリチョやイコロマニでの4日間は、刺激的な出会いばかりで最高に楽しく、そして充実していました。でも不思議なことに、電気がなく虫が出るこの家が、やっぱり一番落ち着くし休まるのです。なんでだろうな、と自分でも可笑しくなります。
ナイロビの弁護士と「教育という奇跡」
日中、ナイロビで弁護士をしているという男性と話す機会がありました。
彼は主に、土地の売買などの法務案件を扱っているそうです。
ケニアで弁護士になるための道のりを聞くと、「大学などで数年法律の勉強をして、1年間のOJT(実地研修)を経て、さらに勉強と厳しい国家試験を突破しなければならない」とのことでした。 (日本の司法試験と比べてどちらが難しいかは分かりませんが、この国においてかなりの狭き門であることは間違いありません。)
印象的だったのは、そんなエリートである彼が、自分のキャリアについてこう語ったことです。
「自分が弁護士になれたのは、たまたましっかりとした教育を受けられる環境にいたからだ。本当に運が良かった。奇跡だよ」
自分の努力や才能をひけらかすのではなく、環境の巡り合わせを素直に「奇跡」と呼べる謙虚さ。 そして同時に、その言葉の裏には「教育にアクセスできない人が大半である」という、この国の圧倒的な格差のリアルが横たわっています。彼のような優れた知性との対話は、とても良い刺激になります。

103歳とマッシュルーム、おじいちゃんのイチゴ
事務所へ行き、週末から昨日にかけてケリチョ視察で見てきたこと、そして今考えているアイデアをボスに報告しました。振り返れば、日本企業のように週に1回はきちんとボスに報告と壁打ちをしている気がします。
視察で可能性を感じた「マッシュルーム栽培」について提案すると、ボスは非常に好感触でした。 聞けば、彼女の親は大のマッシュルーム好きで、それが理由かはさておき、なんと103歳までケニアで長生きしたそうです。 「マッシュルーム=栄養がある」という認識をボスが持っており、さらに国が推奨している国家戦略であることも理解してくれているのは、非常にポジティブなニュースです。 カカメガタウンの大学にもキノコを培養している施設があるらしいので、近いうちに視察へ行こうと話が弾みました。
さらに嬉しいニュースが。今日事務所を訪れたおじいちゃん農家が、個人的にイチゴ栽培を始めたらしく、「ぜひアドバイスが欲しい」とのこと。事務所からも歩いて行ける距離なので、来週さっそく畑を訪れる約束をしました。
来週の予定を立てて、帰宅後はPC作業。
「これがやりたい」と論理的に説明すればやらせてくれて、しかも協力を惜しまない。マトゥングの農業事務所は、本当に自由で恵まれた環境だと感謝しています。
小さな村のインターネットと「文脈(コンテキスト)」
夜は、同期隊員たちとの定期オンライン会。 学校で活動している同期が話してくれた「子どもたちのインターネットの使い方」についての考察が、非常に興味深いものでした。
田舎の小さなコミュニティで生活する子どもたち。 彼らは生まれてからずっと、同じ価値観、同じ背景(文脈)を共有している人たちとだけ生きてきました。 そんな彼らがインターネットやAIに触れると、非常に「主観的な言葉」を使うそうです。 AIもネットの向こうの他人も、自分たちのローカルな文脈や感情を知らない。でも、彼らには「文脈を共有していない相手がいる」という想像力がまだ育っていないのです。
この話を聞いて、規模感は違えど、これは「外国で異文化交流に苦労する大人」の構造と似ていると感じました。
私も今、ケニアという異国で活動していますが、無意識のうちに「日本という小さな島国で生きてきた私自身の文脈」を前提にして、相手を理解しよう(あるいは自分の考えを押し付けよう)としてしまう瞬間があります。 逆に、現地の彼らも「ケニアの(あるいはこの部族の)文脈」で、私という異物を理解しようとしてくる。
お互いに共有していない「文脈」があることを想像できなければ、コミュニケーションは必ずすれ違います。 「なんで伝わらないんだ」「なぜ彼らはこう動くんだ」という日々のイライラは、結局のところ、私自身が彼らの文脈を読み切れていない(あるいは自分の文脈を説明しきれていない)ことから生じているのでしょう。
インターネットの使い方から、異文化理解の深いジレンマへと繋がった夜。
思考を巡らせているうちに、気づけばPCの前で寝落ちしていました。
明日からまた、文脈の違うこの街で、対話を重ねていきます。


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