【ケニア派遣105日目】写真慣れした女性たちと「支援頼み」の違和感。終わりのない援助のジレンマを考える

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「支援頼み」の違和感と、写真慣れした人々

午前中は、マトゥングで女性グループをまとめている代表のおじさんに会いに行きました。

彼の話は立派なものでした。 「牛乳とメイズ(トウモロコシ)の農業で現金収入を得て、それを元手に女性や社会的に立場の弱い人たちを支援している。近い将来、無料の医療機関も作る予定だ」と。

しかし、話を聞き進めるうちに、少しずつ違和感が芽生えてきました。

「土地を買った時はファンドレイジングをしたんだ」 「過去には協力隊も受け入れていたし、今もJICAやPeace Corpsに申請を出している」 「JICAや、ケニアで働きたいと思っている日本人をどんどん紹介してくれ!」

彼らは、事あるごとに私と「一緒に写真を撮ろう」と言ってきました。 グループの女性たちも、妙にカメラに撮られ慣れており、いかにも「訪問者(ドナー)の扱い」に慣れている雰囲気が漂っていました。 おそらく、彼らの活動資金は農業の収益だけでは到底賄い切れておらず、外部からの資金援助に大きく依存しているのだと思います。

終わらない援助のジレンマ

この「支援頼み(依存体質)」感には、正直少し戸惑いました。

他の隊員からも似たような話を聞いたことがあります。 特に医療機関などは、UNやJICA、NGOからの予防接種の寄付など「支援ありき」で回ってしまっているケースが多く、もしその支援が打ち切られたら、途端にシステムが崩壊してしまうというのです。

ずっと支援し続けられるのであれば、それはそれで一つのモデルかもしれません。しかし、現実的にそれは不可能です。 「支援」の本来の目的は、彼らが自立してシステムを回せるようになること(エンパワーメント)であり、永遠に魚を与え続けることではありません。 頭では分かっていても、言うは易く行うは難し。開発支援の深いジレンマと難しさを、写真用の笑顔を作りながら痛感していました。

奥の村の温かさと、北海道のような絶景

午後は、少し奥まった場所にある村の農家さんを案内していただきました。

目的は「ナチュラルマッシュルーム(野生のキノコ)」の視察です。 今のシーズン、畑や林の中からは結構な量のキノコが採れるそうです。家や採集場所を見せてもらいましたが、価格は市場のような相場があるわけではなく、割と「言い値」に近い感覚で取引されていました。 決して安くはないのに、みんなキノコが好きでちゃんと買っていく。ここにも確かな需要が存在しています。

そして何より、村の環境が素晴らしかった。街の喧騒から離れ、少し奥の村に入ると、アジア人をからかってくるような嫌な人がグッと減ります。すれ違う人はみんな気さくに挨拶をしてくれ、よそ者の私を温かく歓迎してくれました。

すごく静かで、居心地が良い。見渡す限りの緑と広大な土地は、まるで北海道にいるかのような圧巻の光景でした。支援に慣れた代表のしたたかさと、村の人々の純朴な優しさ。同じ地域でも、一歩奥に入るだけで全く違う顔を見せてくれます。

逃げ切る夕方と、雨季の雷

村の空気を堪能した後、事務所に少しだけ顔を出しました。
同僚たちと話していると、空の空気が急激に重たくなっていくのを感じました。

「これは、大雨が来るな」 急いで荷物をまとめ、帰路につきます。 案の定、家に着くか着かないかのギリギリのタイミングで、バケツをひっくり返したような土砂降りが始まりました。

最近は、毎日夕方になると決まって激しい雨が降ります。 そして当然のように停電し、地響きのような雷の音が鳴り響く。正直、ここの雷は近すぎて本当に怖いです。

暗闇の中で雷鳴に怯えながら、今日もケニアの自然の脅威と力強さを肌で感じています。

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