私は2024年1月28日-2月24日の期間を使い、原付で西日本を旅して回りました。
下画像がその経路です。旅の詳細は後日執筆予定です。
さて、今回の旅のテーマは自分の「日本人としてのルーツ」を探ることでした。
昨年アフリカを旅している中で、無自覚にも自分が日本人であることに誇りを持ち、日本人として恥ずかしくない行動をとるように心がけていました。具体的には誠実に礼儀正しく行動していました。
そして、いろいろな国籍の方とお話ししているうちに、「自分が日本人であること」は私にとって大切なアイデンティティであることを自覚しました。
しかし、ふと省みたときに自分の核とも言えるアイデンティティ、すなわち「日本人らしさ」とは一体何なのか、説明できないことに気がつきました。
そこで今回、その答えを探るために、「日本国はどのような歴史や性格を持っているのか」を探す旅に出かけることにしました。
以下はそのテーマのもと行った1ヶ月間の旅を経て、私が個人的に感じたことや学びを記します。あくまで個人的な価値観ですので、「そんな考え方もあるのか」程度に受け取っていただけると幸いです。
日本人の信仰心は何処から?
多くの日本人は宗教に対してネガティブなイメージを持っています。その原因は太平洋戦争時の神道や、オウム真理教のような新興宗教のイメージが強いからではないかと思います。
したがって、多くの日本人はしばしば宗教と距離を置きがちで、「日本人は無宗教である!」と言われることもあります。
しかし、私たちは今も食事の前後には必ず手を合わせますし、神にお祈りすることも少なくありません。
実際、日本には津々浦々にとてもたくさんの神社仏閣があり、多くの人が訪れお願い事をしています。そのような光景を目の当たりにした外国人からすれば「日本人は無宗教だ」という発言は全く理解できないと思います。
日本人は、確かに信仰する対象を持っています。(≒宗教的価値観を持っています)
ただ、八百万の神がいるとされているため信仰の対象が絶対的な存在ではなく、他の宗教とは性格が異なっています。さらに、多神教の中でも特別「何でも簡単に信仰対象になりうる」寛容な性格があるように思えます。
その対象は、私の見解では以下の4つがあると考えています。
- 自然信仰(滝、山等)
- 伝統的な神話に基づく信仰(古事記、日本書紀等)
- 外来の宗教を取り込み体系化したもの(仏教、キリスト教等)
- 偉大な人が神になったもの(吉田松陰、菅原道真等)
特に4について、ほんの100年前頃に生きていた人でさえ、立派な鳥居が建てられ神として崇められていることは世界的に見ても稀な価値観だと思います。このように、あらゆるルーツを持つ信仰対象があり、(当然、濃淡はありますが)どの場所にも神聖さが漂っているように感じました。
このように、私たちの”宗教”は世界中の宗教像を型作っているキリスト教やイスラーム教とは全く異なる思想体系を持っており、それが「日本人は無宗教だ」というロジックは組み立てているのではないかと思います。
当然、日本人としての価値観はあらゆる歴史が複雑に交差して形成されてきたもので、これがルーツだと断定できるものではありません。また信仰心と行動の因果を断定できるものでもありません。
しかし、「日本人は無宗教だ」という幻想を取り除き、信仰対象について考察すると、日本人が大切にしてきたことが見えてくるように思えます。
全てのものに神が宿る。そして、それは人間も例外ではなく自らの中にも神性が内在する。
この宗教的価値観から、日本人が共通して大切にしていることは「誠実に全てのこと・ものに感謝し、細部にまで徹底的なこだわりを持って行動する」であることを表していると感じました。
争いと共にある人類の歴史
日清日露の成功に縋り無謀な戦いを始め、空の戦いを予見できず戦艦大和を作った大日本帝国。
過去の成功体験が太平洋戦争の悲劇を生んだと言っても過言ではないでしょう。
その悲劇を象徴する場所、原爆ドームに訪れたとき胸が苦しくなりました。ここで失われた命は本当に失われる必要あったのか…もっと早くに終戦の決断をできなかったのか。そもそも戦争に突入しない選択はできなかったのか。
原爆ドームを前に涙が出てきました。
またこの旅を通して、原爆ドームの他にもたくさんの歴史的な場所を訪れました。お城や旧い街並み、偉人の跡などが各地にたくさんあり、どこも美しい場所ばかりでした。
しかし、その背景にはほぼ必ず争いがありました。歴史の勝者を象徴するのがまさにお城と偉人像でした。そして私たちが知る日本史は争いの勝者が紡いできた歴史であることを強く実感しました。
ドフラミンゴが言う「勝者こそが正義だ」という言葉の通りです。
過去を否定するつもりはありませんが、これからの時代がそれでは虚しいと私は思います。
しかし…
ウクライナやイスラエルで戦争は今起こっています。そして、核開発は今なお世界で進められています。本当に人類とは愚かな種族です。
次の時代は血や悲し涙ではなく笑顔や嬉し涙に溢れる時代にしたい。
ノーベル平和賞がなくなるくらい当たり前に平和が享受できる時代にしたい。
そのためには、失敗の歴史に目を向け悲劇と向き合うことが大切だと感じました。
平和の実現が難しくても、少なくともそこに向かうための努力を、皆が自分ごと化しやるべきです。
次はどこへ旅しようか。
自分の「日本人としてのルーツ」を探ることをテーマに行った今回の西日本旅。
特に、宗教と歴史を中心に色々と見てまわり「日本人が大切にしているものは何か」「どのような歴史を紡いできたのか」などを考え、答えにつながるヒントを多く見つけられました。
今後さらに答えに近づくために今回体力や天候を考慮して行けなかった九州や東北など見てまわりたいと思います。また、勉強不足を実感したのでもっと勉強をしようと思います。
総じて、色々な学びを得られ、次の課題やテーマが見つけられたとても充実した旅でした。
さて、次はどこへ行こう。