身体性の伴う体験を通して自分のなりたい姿・やりたいコトと向き合う。
すなわち、誰かの恣意性によって加工された情報ではなく、生の立体的な情報と、五感を通して関わることで自分を省みる。それが旅のテーマでした。
そのために、あらゆる人・もの・コトとの出逢いの中で生じる「あらゆる自分」を意識しながら旅を進めていました。よって目的を持たずに歩き回り、どんな事にも興味をもち全ての偶発性を拾える準備を常にしていました。
そんな旅の中で、たくさんの素敵な出逢いに恵まれましたが、一方で苦しく辛い思いもたくさん経験しました。例えば、「チンチョンチャーン」と揶揄されたり、「中国に帰れ」と罵倒されたり、明らかな差別を受けることもしばしばありました。また、たくさんの物乞いの子どもに真っ直ぐな目で見つめられ、時には腕を掴まれながらも、私自身何もしてあげることができず、トラウマになりかけたこともありました。他にも言語の壁やカルチャーショック、生活水準の低さ、孤独さなど小さなストレスは常にかかり続けていました。
しかし、そのようなショッキングな出来事と対面するたびに新たな自分を発見できたような気がします。
特に私が日本人であることにとても誇りを持っていることはこれまで全く自覚していなかったので驚きでした。あらゆる人・もの・ことに感謝をもって接することなど、日本の中では意識することのない当たり前の行動が、私の中に日本人としてのアイデンティティとして強く根付いていることに気づきました。だから、それを認められた時はとても嬉しく、逆に馬鹿にされた時はとても腹が立ちました。
同時に、日本のことを想像以上に知らない事にも気づきました。明確な宗教を持たない日本人がなぜ行動規範を持っているのか。その源泉はどこにあるのか。今後、海外に出ていく上で、勉強をして自分なりの答えを見つけるべきだと感じました。
また、「貧困」という大き過ぎる問題を前に、あまりに私は無力であることを自覚しました。この問題と向き合っていくためにはお金も知識も信頼も能力も、あらゆる力を身につける必要があることを体感しました。目を逸らすことは簡単ですが、私はそこから逃げたくないという強い想いがあり、それが人生を賭けてやりたいことであるとわかりました。さらにその想いの実現のために、私にどのような選択肢や可能性を持っており、そのためにどのような努力を今しなければならないのかを考え続け、旅の前にはぼんやりとしていたビジョンが、今では段々とクリアになってきました。
以上の事に気づけたことにはとても価値がありましたが、何よりもこの旅を通して良かったことは「1人では何もできない」という当たり前のことに身をもって気づけたことです。
宿も移動手段も食事も全て自分で探さなければならない日々を送る中で、これまでの22年間、いかに恵まれた環境の中でたくさんの人に支えられながら生きてきたのかに気づくことができました。つまり、自分の弱さを知ることで、「感謝」の対象とその重要性が見えるようになりました。
友達、仲間、恩師、家族。身近であればある程気づきにくい感謝の対象に、たった今、気づき向き合えたことは本当に幸運でした。
来年からは社会人として、これまで与えてもらったたくさんのものを世の中に還元できるように、夢に向かって努力していきます!