今日も一日、ブルーベリーの剪定作業。無心で手を動かし続け、1ブロックをやり終えた頃には、心地よい達成感がありました。集中によるアドレナリンが切れ、どっと疲れが押し寄せてくる感覚も、今では日常の一部です。(蚊に順調に刺されながら)
「知」と「行」の往復運動
今日の肉体労働のお供は、Audibleで聴く2冊の本。『イシューからはじめよ』と『「具体⇔抽象」トレーニング』。ビジネスにおける思考法の名著です。
剪定という、極めて具体的な「行い」に没頭する傍らで、耳からは仮説思考や抽象化といった、知的な「概念」が流れ込んでくる。この身体と頭脳、具体と抽象の往復運動が、今日の私に、ある興味深い内省をもたらしました。
幹と枝、抽象と具体、そして根源的な問い
剪定とは、思考のプロセスそのものではないか。
ただ闇雲に枝葉を切るのではない。まず、「この樹を、来年最も豊かに実らせるためには、どうあるべきか?」という根源的な問い(イシュー)を立てる。それが全ての思考の「根」になります。
次に、その問いから「今年は、外向きで若い枝を主軸として残し、勢いを集中させる」という方針(抽象)を固める。これが、思考の「幹」です。
そして、その方針に従って、目の前の一本一本の枝を切るか、残すか、という判断(具体)を下していく。これが「枝葉」のレイヤー。
『イシューからはじめよ』で語られるように、本質的な問いを立てなければ、その後の行動はすべて無駄になりかねない。まさに、剪定も同じです。一つひとつの枝ぶりに惑わされる前に、樹全体の理想像という「イシュー」を見極める。その深い洞察力、つまり「一次情報に触れる」ことの重要性を、植物の青い香りと、目の前の枝葉一本一本と向き合う中で、改めて学んでいました。

恵みの雨と、仲間との対話
昼過ぎには、同世代の若手メンバー4人で観光農園のインスタグラム投稿に関するミーティング。ここでもまた、抽象的なコンセプトと具体的な投稿内容との間を、対話によって行き来します。
夕方からは、恵みの雨。一時は水不足が心配された大地を潤し、火照った私の思考をクールダウンさせてくれるような、優しい雨でした。
一つの樹木、一つの事業、一つの投稿。その全てに、解くべき問いがあり、思考の幹と枝がある。今日の学びは、明日からの景色を、また少し違って見せてくれそうです。

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