【グローカル24日目】お金は「ありがとう」の可視化装置。資本主義のその先を考える。

グローカル訓練

今日の仕事は、朝一番、出荷される30鉢の胡蝶蘭のラッピング作業から。少しバタバタとした週半ばのスタートです。

ハウスの片付けが一段落し、ここ最近は胡蝶蘭と向き合う時間が主になってきました。今日も、昨日と同じく神経衰弱のような選別作業。膨大な数の中から、条件に合うものを3つ揃える。脳みそをフル活用するこの作業は、集中力が途切れると一輪の傷で商品価値が失われる、非常に繊細な仕事です。正直、私の苦手分野。しかし、だからこそ克服する好機だと捉えています。

宅配弁当と、サウナのような夕立

昼食は、従業員の方におすすめされた宅配の「のり弁当」。噂通り、魚のフライがふんわりと美味しく、午後の活力となりました。

夕方からは、恵みの雨。水不足が続いていたのでありがたい反面、降り止んだ後の、まるでサウナのような湿気には閉口します。

仕事の後は、最近のルーティンである海辺での運動へ。この美しいロケーションが、最高の元気の源です。

なぜ私は、お金を稼ぐことが好きなのか

今日の作業中、私はずっと「お金」と「ビジネス」について考えていました。そして、一つの自己認識に至ります。「どうやら私は、ビジネスが好きで、お金を稼ぐことが好きらしい」と。

ただし、お金そのものへの執着はあまりありません。私にとってお金とは、届けた価値に対する感謝の「対価」を、可視化してくれる装置なのです。その額の大きさは、どれだけ多くの人の、あるいはどれだけ深く人の役に立ったかを示す一つの指標になる。お金を稼ぐという行為は、誰かの役に立っていることの証明だと考えています。

“あるべき場所”にお金が流れる、その先の世界へ

それでもなお、時に「金儲け」という言葉には、シェイクスピアの描いたシャイロックのように、嫌悪感がつきまといます。
それは、現代の資本主義社会が、お金が本当に「あるべき場所」に流れていない、という構造的な問題を抱えているからではないでしょうか。

ビジネスは、「支払い能力のある困っている人」のもとで生まれます。
しかし、歴史を振り返れば、”私たち”という主語の範囲は、常に拡大してきました。
フランス革命で女性が市民権を得たように、インターネット革命で世界が繋がったように。

もし、この主語の拡大がさらに深化すれば、支払い能力の有無に関わらず、社会的な意義ある活動や、本当に助けを必要とする人々のために投資が行われる社会が来るはずです。
誰かの「ありがとう」のために、別の誰かが「ありがとうのお金」を払う。

その価値変換を触発するような仕事がしたい。

まさに、株式会社イノPが挑戦しているのは、この価値変換そのものなのだと感じます。
学ぶことは、本当に多いです。 すごく楽しい。

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