【グローカル19日目】経験の再結合と、予期せぬスキルの発露

グローカル訓練

今日はデスクワークが中心ですが、まずは朝一番、家の前に砂利を敷く作業から一日が始まりました。こういった普請は専門業者の領域だとばかり思っていましたが、自ら手を動かすことで、知識と理解との間にある大きな隔たりを痛感します。
完成後の景観の変化や水はけの良さといった機能的な価値以上に、労働の大変さと、環境が人の手によって維持されているという事実を、身体知として得ることができました。

贈与が循環する経済圏と、未利用資源の可能性

作業の合間に、ぶどうをいただきました。
聞けば、先日同居人が別の方におすそ分けしたいちじくが、巡り巡って葡萄になって返ってきたとのこと。
貨幣経済とは別のレイヤーで機能する、この贈与と返礼が循環する経済圏は、アフリカで感じたコミュニティの温かさとも通底します。

同時に、この葡萄もまた「出荷できない」規格外品でした。
島には、品質に何ら問題はないものの、市場に乗らず、自家消費も難しい「未利用資源」としてのフルーツが豊富に眠っているようです。
ここに新たな価値創造の可能性があるのではないか、と強く感じます。

経験の再結合と、予期せぬスキルの発露

午後からは、出前授業の資料作成やSNSの運用方針策定といったデスクワークに集中しました。
前職で培ったマーケティングの思考法やフレームワークが、この全く異なる環境でも極めて有効に機能することに、改めてその汎用性の高さを実感します。

そして、この「スキルの転用」という発見は、より根源的な気づきへと繋がりました。

例えば、以前全く別の場所で経験した「ネギの収穫」。
その時に無意識に身体が覚えた紐の結び方が、今の様々な現場作業の効率を、自分でも驚くほどに向上させてくれています。

一見、何の脈絡もない過去の経験という「点」が、予期せぬ形で繋がり「線」となり、現在の自分の能力を形作っている。キャリアとは、計画的に積み上げるものと同時に、こうして偶発的に再結合された経験の総体なのかもしれません。

何が、どこで生きるか分からない。
だからこそ、あらゆる経験は無駄にならず、その集合体として今の自分がある。

慣れと共に加速していく時の流れの中で、この「今、この瞬間」に全力で向き合うことが、未来の自分に対する最大の投資なのだと、改めて決意を固めました。

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