• アフリカを旅した大学生

ムランビ虐殺記念館。決して忘れてはいけない悲劇

4.24

朝は2時間半ほど歩き、Rwesoroのマーケットに向かいました。その道中何人かの人とお話をしながら、ゆっくりとマーケットに向かい、10時半頃に目的地に到着しました。

しかし、ここにはレストラン一つなく、ショップがいくつかあるだけでした。英語を話せる若者に色々とお話しを聞いた結果、この辺りには街はないということだったので明日の目的地であったNymagabe まで、移動することにしました。

そのためには、バスの乗り換えが必要だったので、まずはBuhinga という場所まで小さなバスで移動しました。ルワンダでははじめて小さなバスも利用しましたが、このコンダクターは感じが悪い人でした。ぼったくろうとしてきたので、全力で交渉して何とか適正価格にしてもらい、Buhingaに到着しました。

そこにはマーケットとレストランがあったので、レストランに入りました。ルワンダ式のビュッフェ形式で本当に美味しかったです。特にキャッサバリーフははじめて頂きましたが、想像以上に美味しく、また機会があれば食べたいです。1000Rwf(約125円)で気持ち悪くなるくらいたくさん食べられる、ルワンダの食事はとてもありがたいです。

食事を済ませた後、バスでNyamagabeに向かいました。タイミングよく来たので、乗り込みました。約2時間の距離は2500Rwf(約315円)でした。

ルワンダに入ってからずっと西のKivu湖沿いを下ってきたので、遂にここから東に向けて移動を開始しました。車窓からの風景は一面がジャングルでした。今にもターザンが出てきそうなほど深く広い森で、何種類かの猿も見かけることができました。あとで聞いた話によるとここはルワンダで1番大きな森、ナショナルパークだそうです。

1時間ほど車を走らせ、ようやく森を抜けると少しずつ街のような雰囲気になってきました。途中小休憩を挟んだので、結局2時間半ほどかかりNyamagabeには到着しました。

しかし、道中は隣に座っていた大学生2人組とお話をしながら移動していたので体感はあっという間でした。彼らのは色々な話をしましたが、特に印象的だったのは、「ジェノサイドという歴史を乗り越えた国だからこそ、自分たちは今も他の人種の人に差別はしないんだ」という話してくれたことです。

ケニア、ウガンダにら比べて圧倒的に馬鹿にされる回数が少ないこの国の背景には、やはりその過去が影響していることを知り、歴史から学ぶことの大切さを学びました。

そして、Nyamagabeでは7000Rwf(約875円)の宿を見つけ荷物を置き、すぐにムランビ虐殺記念館に向かいました。街からは30分ほど歩いた距離で、少し遠いですがルワンダで1番の目的地といっても過言ではなかったので、早歩きで向かいました。

記念館では1人の女性が案内をしてくれました。

ルワンダ虐殺で最も多くの人が殺された、ここムランビの歴史の説明を受けたあと、虐殺された人たちが投げ捨てられた場所、身につけていたもの、そして白骨遺体を見させて頂きました。

それは、もちろん小さな子どもの遺体や洋服もたくさんあり、直視するのが辛くなるほど生々しいものでした。しかし、昼間の大学生の言葉にもあったように、この歴史から未来を作ることが今の私たちの使命だと思うので、目を逸らしてはいけないと思いじっくりと観察しました。

しかし、この日何よりもショックだったのは案内してくれた女性についてです。自分が「日本の大学でルワンダ虐殺を勉強していたため、ここに来た。」という話をしたら、彼女はありがとうと一言言った後に一呼吸おいて、「私の家族は皆ここで殺され私には家族は誰もいないんだ」という話をしてくれました。

声を震わせながら話してくれたその言葉には計り知れないほどたくさんの想いがあったと思います。彼女は見たくないものがあるこの場所で、それでも未来のために毎日ここでガイドをしています。

このルワンダ虐殺は過去の出来事ではないということを実感させられました。絶対に後世に残していかなければならないこの惨劇をより多くの人がちゃんと知るべきだと思います。そのためにも、ぜひ実際に足を運び自分の目で見て感じとってほしいです。

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